ブワイフ朝 (A.D.932〜A.D.1062) イラン人の軍事政権。首都:シーラーズ。946年、混乱に乗じてアッバース朝のバグダードに入城し、カリフからイスラーム法執行の権限を与えられた。イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まった。1055年セルジューク朝を興したトゥグリル=ベクに滅ぼされた。
ブワイフ朝
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
イスラーム帝国の分裂
イスラーム世界の発展
東方イスラーム世界
中央アジアで遊牧生活を送っていたトルコ人は、10世紀に入ると、人口増加の圧力をうけて西方への移住を開始した。彼らはアラル海付近に定着し、やがてイスラームの商人や神秘主義者との接触をつうじてイスラームに改宗した。トゥグリル=ベクに率いられたセルジューク族も、このようなイスラーム化したトルコ人の集団であった。 セルジューク朝(1038〜1194)を興したトゥグリル=ベク(1038〜1063)は、1055年、ブワイフ朝の勢力を駆逐してバグダードに入城し、アッバース朝カリフからスルタン(支配者)の称号を授けられた。 これ以降スルタンは、スンナ派イスラーム国家の君主の称号として広く用いられることになる。 東方イスラーム世界 – 世界の歴史まっぷバグダードからカイロへ
イクターとは、国家から授与された分余地、あるいはそれからの徴税権を意味する。イクター制はブワイフ朝時代のイラクに始まり、セルジューク朝のとき西アジア各地に広まった。イルハン朝、デリー・スルタン朝、ティムール朝、オスマン帝国、サファヴィー朝でも、本質的にこれと同じ制度がおこなわれた。
バグダードからカイロへ – 世界の歴史まっぷ
イクター制の成立と展開
アッバース朝カリフの権力が安定し、官僚性が整っている間は、軍隊と官僚に現金俸給を行なうアター体制を維持することができた。しかし9世紀半ば以後、マムルーク軍人の勢力が台頭し、地方に独立の王朝が樹立されると、カリフ権力は衰え、王朝が支配できる地域はイラク地方だけに限られた。このため国庫収入は次第に減少し、ブワイフ朝がバグダードに入城し立ときには、国庫は極度に欠乏した状態にあった。これをみたブワイフ朝のムイッズ・ウッダウラは、配下の騎士に分与地(イクター)を指定し、彼らに徴税の権限をゆだねる政策をとった。これをイクター制という。イクター保有者(ムクター)となった騎士たちは、代理人を派遣して取り分の徴収をおこない、戦時にはその収入を用いて装備を整えることが義務付けられた。現金俸給を支払うアター体制からイクター制への転換は、イスラーム国家や社会にさまざまな変革をもたらすことになった。

参考
詳説世界史研究歴代君主
ファールス地方- イマード・ウッダウラ(932年 – 949年) – ブワイフの長男。
- アズド・ウッダウラ(949年 – 983年) – ブワイフの次男ルクン・ウッダウラの子。
- シャラフ・ウッダウラ(983年 – 990年) – アズド・ウッダウラの子。
- サムサーム・ウッダウラ(990年 – 998年) – アズド・ウッダウラの子。
- バハーウ・ウッダウラ(998年 – 1012年) – アズド・ウッダウラの子。
- スルタン・ウッダウラ(1012年 – 1021年) – バハー・ウッダウラの子。
- ムシャリフ・ウッダウラ(1021年 – 1024年) – バハー・ウッダウラの子。
- アブー・カーリジャール(1024年 – 1048年) – スルタン・ウッダウラの子。
- マリク・アッラヒーム(1048年 – 1055年) – アブー・カーリジャールの子。
- フーラード・ストゥーン(1055年 – 1062年) – アブー・カーリジャールの子。
- ムイッズ・ウッダウラ(945年 – 967年) – ブワイフの三男。
- イッズ・ウッダウラ(967年 – 978年) – ムイッズ・ウッダウラの子。
- アズド・ウッダウラ(978年 – 983年) – ファールス政権の君主。
- サムサーム・ウッダウラ(983年 – 987年) – アズド・ウッダウラの子。
- シャラフ・ウッダウラ(987年 – 989年) – アズド・ウッダウラの子。
- バハー・ウッダウラ(989年 – 1012年) – アズド・ウッダウラの子。
- スルタン・ウッダウラ(1012年 – 1021年) – バハー・ウッダウラの子。
- ムシャリフ・ウッダウラ(1021年 – 1025年) – バハー・ウッダウラの子。
- ジャラール・ウッダウラ(1025年 – 1043年) – バハー・ウッダウラの子。
- アブー・カーリジャール(1043年 – 1048年) – スルタン・ウッダウラの子。
- マリク・アッラヒーム(1048年 – 1055年) – アブー・カーリジャールの子。
- イマード・ウッダウラ(932年 – 947年)
- ルクン・ウッダウラ(947年 – 977年)
- ムアイヤド・ウッダウラ(977年 – 983年)
- ファフル・ウッダウラ(983年 – 997年)
- シャムス・ウッダウラ(997年 – 1021年)
- サマー・ウッダウラ(1021年 – 1028年)
- ファフル・ウッダウラ(977年 – 997年)
- マジュド・ウッダウラ(997年 – 1029年)
- ムイッズ・ウッダウラ(936年 – 949年)
- アズド・ウッダウラ(949年 – 983年)
- サムサーム・ウッダウラ(983年 – 998年)
- バハー・ウッダウラ(998年 – 1012年)
- カクーム・ウッダウラ(1012年 – 1028年)
- アブー・カーリジャール(1028年 – 1048年)
参考 Wikipedia