ヘンリー2世(イングランド)
1902年の書籍のイラストに描かれたヘンリー2世 ©Public domain

ヘンリー2世(イングランド王)


ノルマン朝ヘンリー1世(イングランド王)

プランタジネット朝リチャード1世(イングランド王)

ヘンリー2世(イングランド王) (Henry II) A.D.1133〜A.D.1189
 イングランド王国プランタジネット朝初代国王(在位1154〜1189)。父方と母方からの相続と自身の婚姻により広大な所領を獲得し、ピレネー山脈から南フランスおよびイングランドにまたがる、「アンジュー帝国」を築いたが、晩年は息子たちの反乱に苦しんだ。

ヘンリー2世(イングランド王)

当時、西欧で最も広範な領土を取得

プランタジネット朝を創始。広範な領土を継承し、戦闘で勢力を広げた。政治革命もおこなったがカンタべり大司教と対立。息子たちの反乱で陣没。

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系図

系図の全体図はこちら 百年戦争前後のイングランドとフランスの君主一覧と系図

ヘンリー2世(イングランド王)
ヘンリー2世(イングランド王)系図

父:フランス王国の有力貴族のアンジュー伯ジョフロワ4世。
母:マティルダは、ヘンリー1世(イングランド王)の娘であり、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の皇后だった。皇帝・ハインリヒの死後、ヘンリー2世の父・アンジュー伯・ジョフロワ4世と再婚した。(※ 同じマティルダの名を持つ多くの歴史上の人物と区別して、マティルダ皇后(Empress Matilda)、モード皇后(Empress Maud、Maud はサクソン語で Matilda)、イングランドのマティルダ(Matilda of England)などとも呼ばれる。当サイトでは主に女帝モードと呼ぶ。)

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ中世世界の変容

イギリスの封建社会と身分制議会
プランタジネット朝(1154〜1399)

12世紀半ばには王位をめぐる内乱がおこり、結果的にフランスのアンジュー伯がヘンリー2世(イングランド王)として即位し、プランタジネット朝を開いた。
ヘンリー2世はアキテーヌ侯のアリエノール・ダキテーヌと結婚するなどして、ほぼフランス西半部を領有し、大陸とイギリスにまたがる大帝国(アンジュー帝国)を建設した。また、対内的には行政・司法制度を整備して王権強化に努め、イギリス封建王政の盛期を現出した。

次の獅子心王リチャード1世(イングランド王)は、第3回十字軍 初期の十字軍 – 世界の歴史まっぷ)から帰国の途中オーストリア大公の捕虜となり、その身代金支払いや莫大な軍費負担に諸侯の不満はつのり、全面的な反抗を招くことになった。

アンジュー帝国の拡大地図
アンジュー帝国の拡大地図
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