ペルセポリス 紀元前518年着工 アケメネス朝ペルシアの都。古代オリエントを初めて統一したアケメネス朝ペルシア全盛期の紀元前518年に、3代皇帝ダレイオス1世が建設を開始した都市。朝貢使節団を迎えるアパダナ(謁見の間)や玉座殿、タチャラと呼ばれるダレイオス1世の宮殿など、壮大な建築群が建ち並んでいた。これらの建物はすべて四角形で、直角をモチーフにして設計するペルシア建築の特徴が表れている。1979年に世界遺産に登録。
ペルセポリス
アケメネス王朝の都であったペルセポリスは、イラン南部シーラーズの北東約60kmにあるペルシア最大の都の跡。紀元前520年ごろダイリウス大王の時代に宮殿などの建築が始まった。「諸王の王」であるペルシアの大王を訪れる新年の儀式の模様が、正面階段の壁などに描かれている。参考 Persepolis – UNESCO World Heritage Centre
アケメネス朝ペルシア全盛期に創建
ペルセポリスは、古代オリエントを初めて統一したアケメネス朝ペルシア全盛期の紀元前518年に、3代皇帝ダレイオス1世が建設を開始した都市である。 長辺約450m、短辺約300mの敷地には、朝貢使節団を迎えるアパダナ(謁見の間)や玉座殿、タチャラと呼ばれるダレイオス1世の宮殿など、壮大な建築群が建ち並んでいた。これらの建物はすべて四角形で、直角をモチーフにして設計するペルシア建築の特徴が表れている。また、随所に精緻なレリーフ(浮き彫り)がみられ、玉座殿の入り口には、古代ペルシア人の民族宗教であるゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーのレリーフがある。ペルセポリスは宗教儀礼の場として使われ、毎年春分の日に行われた「新年の大祭」では、帝国内の属州などの使節が献上品を持参して、王と接見したといわれている。 アケメネス朝は、「王の道」と呼ばれる国道を建設し、駅伝制を整備した。ペルセポリスにはこの「王の道」を利用して、帝国中からレバノン杉や黄金、銀、象牙などが運び込まれた。しかしその繁栄も紀元前330年にアレクサンドロス大王に滅ぼされることで終わり、ペルセポリスも炎上して廃墟となった。本格的な発掘調査が始まり当時の様子が明らかになったのは、20世紀に入ってからである。主な建造物
アバダナ
110m四方の敷地をもつペルセポリス最大の宮殿。高さ20mの柱が72本あったが、現在は十数本のみ残る。玉座殿
軍事用の宮殿。「百柱の間」はペルセポリス最大の大広間で、クセルクセス1世がライオンと戦うレリーフが有名。クセルクセス門
高さ16mを超える巨大な門。天井と土壁で覆われた通路状の建造物であった。参考
Video
Persepolis (UNESCO/NHK)
場所
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