ミノア文明 (クレタ文明) 全盛期 B.C.2000頃 ~ B.C.1400年頃 政治 王による東方的専制政治 民族 不明 文字 オリエントの象形文字から線文字A を発明(未解読) 中心地 クレタ島・クノッソス 建築・美術 クノッソス宮殿、海洋生物を描いた壁画など 滅亡 ミケーネ文明のアカイア人に滅ぼされる
ミノア文明

クノッソス宮殿再現3Dアニメーション
Knossos Palace Reconstruction Crete 3D – YouTubeミノア文明の地図
参考
文化
エヴァンスはホメロスの詩に現れる伝説的なクレタの王・ミノスの名をとって、これをミノア文明と呼んだ。彼らは絵文字と線文字Aを考案したが、それらは今なお解明されていない。 したがってクレタ王国の社会についてはよくわかっていない。クレタ島にはクノッソス・マリア・ファイストスなどの小王国があり、なかでクノッソスが有力で、紀元前2000年頃にはクレタ島を統一したらしい。その王宮は巨大で、動物、とくにイルカなどの海洋動物や人間たちをいきいきと描いた壁画にはオリエントにない開放性がみられ、王宮が城壁を持たなかったのも、この文明の平和的な性格を示している。しかしクレタ人は強力な艦隊をつくってエーゲ海の航行権を握り、エジプトや南イタリアなどとの交易もさかんにおこなっていた。クレタ島の北のテラ島(現在のサントリーニ島)にも同様の文明が栄えていた。

©public domain Source: Wikipedia

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