ミラボー
ミラボー(Joseph Boze画/ヴェルサイユ宮殿蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ミラボー


ミラボー Mirabeau( A.D.1749〜A.D.1791)
フランス革命初期の指導者。伯爵であったが三部会では第三身分代表となり、国民議会成立に重要な役割を果たした。立憲王政の線で革命をとどまらせようとし、宮廷に接近、秘密資金を提供されていたことが死後判明した。過労と放蕩のため演説中に倒れ急死すると、パイプ役を失ったルイ16世はヴァレンヌ逃亡事件を起こした。

ミラボー

立憲君主制の成立
立憲君主制の成立 ©世界の歴史まっぷ

フランス革命期における立憲王政派の政治家。憲法制定国民議会での最もすぐれた雄弁家であり政治的英才として知られた。重農主義者ミラボー侯ビクトル・リケティの長男。青年時代放蕩を重ね監禁、放浪の生活をおくったが、この間啓蒙思想の影響を受け反専制のパンフレットなどを書き、J.ブリッソーの「黒人友の会」にも参加。プロバンスのエクスから第三身分代表として全国三部会に選出され、全国三部会および国民議会に主導的役割を果し、「人権および市民権の宣言」の起草に参画し、1791年1月国民議会議長となった。一方、立憲王政を目指し、野心家オルレアン公ルイ・フィリップ・ジョゼフとも結びつき、王室とひそかに取引するなど行動に不信がもたれた。青年時代の放蕩、再三の獄中生活、議会の激務などがたたって病気がちとなり、91年3月演説中に過労で倒れた。人民の深い哀悼のうちに、盛大な儀式によりパンテオンに葬られたが、92年8月の民衆蜂起の際、宮廷とミラボーの緊密な関係を実証する書類が発見されたため、94年9月遺体は国民公会の命令でパンテオンから除去された。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018

パリ市民の人気を得た雄弁な政治家

革命初期の指導者で、立憲君主制を目指した。貴族出身ながら庶民的な振る舞いゆえ三部会には平民代表の一人として選出され、王室とのパイプ役も務める。過労と放蕩のため演説中に倒れ急死すると、パイプ役を失ったルイ16世はヴァレンヌ逃亡事件を起こした。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

欧米における近代社会の成長

フランス革命とナポレオン

革命の勃発

三部会は1789年5月5日にヴェルサイユで開かれた。談員の数は、第一・第二身分議員がそれぞれ約300名、第三身分議員が約600名、計約1200名であった。聖職者議員には改革に理解を示す下級聖職者も多かった。第三身分代表にはミラボー Mirabeau(1749〜91)やシェイエス神父など、他の身分から離脱して選出されてきたものも含まれていた。

ミラボー:伯爵であったが三部会では第三身分代表となり、国民議会成立に重要な役割を果たした。立憲王政の線で革命をとどまらせようとし、宮廷に接近、秘密資金を提供されていたことが死後判明した。
革命の進展

91年宮廷と議会の間の調停にたっていた穏健派のミラボーが病死すると、革命の急進化に不安をもったルイ16世(フランス王)とその一家は、6月20日パリを脱出し、王妃マリ=アントワネット Marie Antoinette (1755〜1793)の母国オーストリアへの亡命をはかった。しかし、国境近くのヴァレンヌ Varennes でこの逃亡は発覚し、国王一家はパリに連れもどされた(ヴァレンヌ逃亡事件)。民衆は国王への不信をつのらせた。

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