ムラービト朝 ルーム・セルジューク朝 ムラービト朝 ガズナ朝 11世紀後半のイスラーム世界地図
11世紀後半のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

後ウマイヤ朝

ズィール朝

ムワッヒド朝

ムラービト朝 A.D.1056〜A.D.1147

西サハラのベルベル人修道士(ムラービト)がイスラーム宗教運動をおこし、北アフリカに建国。ジハード(聖戦)を唱えて南下し、1076年ガーナ王国を滅ぼしスーダンのイスラーム化を積極的に推し進めた。首都マラケシュを建設しイベリア半島にも進出。先進的なイスラームの建築技術や学問を北アフリカにもたらした。アッバース朝カリフの権威を承認し、スンナ派信仰によって国内の統一をはかったが、1147年ムワッヒド朝に滅ぼされた。

ムラービト朝

首都:アグマ、マラケシュ、コルドバ

イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の発展

西方イスラーム世界
11世紀後半のイスラーム世界地図
11世紀後半のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ
11世紀半ばころ、西サハラに住むベルベル人の修道士(ムラービト murabit)たちは、熱心なイスラーム宗教運動をおこし、北アフリカにムラービト朝(1056〜1147)を建国した。
彼らはジハード(聖戦)を唱えて南下し、1076年ガーナ王国を滅ぼすと、スーダンのイスラーム化を積極的に推し進めた。首都マラケシュを建設したムラービト朝は、イベリア半島にも進出し、そこから先進的なイスラームの建築技術や学問を北アフリカにもたらした。
王朝はアッバース朝カリフの権威を承認し、スンナ派信仰によって国内の統一をはかったが、建国当初の宗教的情熱が冷めるに連れて国力は衰退した。
西方イスラーム世界
クトゥビーヤ・モスクのミナレット(マラケシュ)
マラケシュは11世紀後半ムラービト朝の都として建設されたモロッコの都市。王朝はイベリア半島にも進出し、その統治下で商工業・文化が栄えた。このモスクが建設されたのもこの時期で、イブン・ルシュドなども来往した。(写真提供: トリップアドバイザー)

インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化

アフリカのイスラーム化

西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝の攻撃を受けて衰退した。ムラービト朝の侵入以後、西アフリカではイスラーム化が進行し、つづいておこったマリ王国(1240〜1473)はイスラーム教を受容した。

ヨーロッパ世界の形成と発展

西ヨーロッパ中世世界の変容

スペインとポルトガル

そのころ、後ウマイヤ朝は滅亡し(1031)、イスラームのイベリア支配は20余りの小王国の時代を迎えたが、レコンキスタとの関わりで重要な位置を占めたのは、サラゴサセビリャグラナダの3王国である。アラゴン王国の歴代の王はサラゴサを攻め、教皇の呼びかけによる連合軍も結成された(1064)が失敗に終わり、その占領は12世紀初頭にまでもちこされた。
他方、アルフォンソ6世(カスティーリャ王)(位1072〜1109)はトレドを占領(1085)、ついでセビリャを攻めたが、アフリカからベルベル人のムラービト朝軍が来援、失敗した。13世紀初頭、カスティリャ・アラゴン・ナバラの連合軍はムラービト朝にとって代わったムワッヒド朝軍に決定的勝利をおさめ、コルドバ・セビリャを相次いで回復した。その結果13世紀半ばには、イスラーム勢力はグラナダ1国を残すのみとなった。

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歴代君主

  1. イブン・ヤースィン(1040年 – 1056年)
  2. ヤフヤー・イブン・イブラーヒーム(1056年)
  3. ヤフヤー・イブン・ウマル(1056年)
  4. ① アブー・バクル・イブン・ウマル(1056年 – 1087年)
  5. ② ユースフ・イブン・ターシュフィーン(1061年 – 1106年)
  6. ③ アリー・イブン・ユースフ(1106年 – 1142年)
  7. ④ ターシュフィーン・イブン・アリー(1142年 – 1146年)
  8. ⑤ イブラーヒーム(1146年)
  9. ⑥ イスハーク(1146年 – 1147年)

(*ただし、初代をアブー・バクルとする説も有力である)

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