メアリー2世(イングランド女王)( A.D.1662〜A.D.1694)
王政復古期ステュアート朝イングランド女王(在位1689年2月13日 - 1694年12月28日)。夫ウィリアム3世(イングランド王)と共同統治。国民の信頼の厚かった国教徒の女王であったが、32歳で天然痘により没した。
メアリー2世(イングランド女王)
国民の信頼の厚かった国教徒の女王
ジェームズ2世(イングランド王)の長女。母の影響で、妹のアンとともに国教徒として育てられた。結婚後オランダに移り2子をもうけるが、ふたりとも夭逝した。
父王の死後、議会はメアリが帰国しての王位継承を望んだが、実際は結婚相手のウィリアム3世との共同統治となった。
外国人である夫をよく助けるとともに、イギリス国教を保護。教育、福祉面にも力を注ぎ、国民からの信頼は厚かったが、32歳の若さで天然痘により没した。
女王にしてかつ王妃という稀有な例
ジェームズ2世の娘で、従兄にあたるオラニエ公ウィリアムに嫁ぐ。名誉革命に際して、イギリス議会の招請を受け入れ、夫と共にイギリスへ渡り、権利宣言に署名。彼女はメアリ2世(イングランド女王)、夫はウィリアム3世(イングランド王)として共同王位に就くが、政治面で表に立つのは極力避けた。
ヨーロッパ主権国家体制の展開
イギリス立憲政治の発達
王政復古から名誉革命へ
しかし、次のジェームズ2世(イングランド王)(位1685〜1688)の政治も専制的であり、カトリックの復活を意図しているような疑惑もあったため、1688年、議会は一致してジェームズ2世をフランスに追放し、かわってメアリー2世(イングランド女王)(位1689〜1694)とその夫でオランダの総督ウィリアム3世(イングランド王)(位1689〜1702)を共同統治の王として迎えた。両王は議会が提出した「権利の宣言」を承認し、「権利章典」として発布した。これによって、国王の権利が大幅に制約され、議会が主権を握る立憲王政が確立、絶対王政は消滅した。この革命を名誉革命という。この革命によって確立した体制は、以後、1世紀以上にわたってイギリスの社会や政治のあり方を決めることになる。さきのピューリタン革命と合わせて、「イギリス革命(市民革命)」と呼ぶこともある。
権利の章典(1689年)
1. 王は、その権限によって、議会の同意なしに、法の効力を停止したり、法の施行を停止したりする権力があるという主張は、違法である。
4. 国王大権を口実として、議会の承認なしに、議会が承認するよりも長期間にわたり、また議会が承認するのと異なる方法で、王の使用のために金銭を徴収することは、違法である。
6. 議会の同意しない限り、平時に王国内で常備軍を徴収し維持することは、法に反する。
8. 国会議員の選挙は自由でなければならない。
9. 議会での言論の自由や討論や議事手続は、議会以外のいかなる裁判所や場所でも弾劾されたり問題とされてはならない。
13. また、すべての苦情を除き、法を修正・強化・保持するため、議会はしばしば開かれなければならない。
家系図
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①ジェームズ1世(イングランド王) |
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アン・オブ・デンマーク | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス |
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②チャールズ1世(イングランド王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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③チャールズ2世(イングランド王) |
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メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート |
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オラニエ公ウィレム2世 (オランダ総督) |
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④ジェームズ2世(イングランド王) |
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アン・ハイド |
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ヘンリエッタ・アン |
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オルレアン公フィリップ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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⑤ウィリアム3世(イングランド王) |
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⑤メアリー2世(イングランド女王) |
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ジェームズ(老僭王) |
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⑥アン(イギリス女王) |
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ジョージ(カンバーランド公) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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チャールズ(若僭王) |
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ヘンリー・ベネディクト・ステュアート |
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夭逝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||