メンシェヴィキ
ロシア革命の経緯年表(二重権力時代) ©世界の歴史まっぷ
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メンシェヴィキ Mensheviki (A.D.1903〜A.D.1921)

ロシア語で「少数派」を意味する、ロシア社会民主労働党の右派。1903年の大会で大衆的な労働者の党をとなえた一派。

メンシェヴィキ

ロシア語で「少数派」を意味する、ロシア社会民主労働党の右派。1903年の大会で大衆的な労働者の党をとなえた一派。

参考 世界史用語集

欧米における近代国民国家の発展

ヨーロッパの再編

ロシアの改革

20世紀に入って、ナロードニキの運動はロシア本国では社会革命党(エスエル)がその流れを汲み、主流派メンシェヴィキと提携したが、左派はボリシェヴィキと結んで十月革命(十一月革命)を成功に導いた。世界各地に対しては、その思想がとくに後進地域の民衆的革命思想として普及し、中国革命では孫文、第二次世界大戦後の韓国の独裁体制を批判した金芝河キムジハもその流れの一環として位置づけることができる。

帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

ロシア

20世紀初頭ロシア経済を不況が襲うなか、農奴解放令が実施されてからほぼ40年ぶりに激しい農民運動が現れた。南ロシアの工業都市では労働者がストライキをおこした。知識人や学生の間でも専制体制への批判は強まり、政治党派の組織化が始まった。社会変革の思想としてマルクス主義を標榜ひょうぼうするプレハーノフ Plekhanov (1856〜1918)らの動きは1880年代に現れたが、ロシア社会民主労働党の実質的な結党は1903年にロンドンとブリュッセルでおこなわれた。この大会で党の組織論をめぐってボリシェヴィキ Bolsheviki (レーニンを指導者とする)とメンシェヴィキ Mensheviki (マルトフ Martov 1873〜1923 を指導者とし、やがてプレハーノフも合流した)に分裂した 。一方、ナロードニキの運動をうけつぎ農民社会主義を追求し、テロリズムを容認する社会革命党(社会主義者革命家党、またはエスエル)は1901年に結成された。

ボリシェヴィキは多数派、メンシェヴィキは少数派を意味する。ボリシェヴィキは党を労働者・農民を基礎に少数の革命家集団からなる前衛党とし、メンシェヴィキは西欧的で大衆的な労働者党をめざした。

二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

ロシア革命

臨時政府はロシアを自由な共和国とし、メンシェヴィキと社会革命党が多数を占める労兵ソヴィエトの支持をえて政治犯の大赦たいしゃ、言論・集会・結社の自由、身分的・宗教的・民族的規制の撤廃などを実現した。しかし、臨時政府の目標は帝政にかわって連合国 の一員として戦争に勝利することであった。

参考

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