モスクワ大公国 (A.D.1263〜A.D.1547) モスクワを都とする中世ロシア国家。ウラジーミル・スーズダリ公国のアレクサンドル・ネフスキーの死後、末子のダニール・アレクサンドロヴィチの分領(モスクワ公国)として成立し、イヴァン3世(位:1462〜1505)の時代にノヴゴドロその他の諸公国を併合し、ほぼロシアの統一を完成させるとともに、1480年にはモンゴルの支配から完全に自立した。
モスクワ大公国
13世紀初頭ウラジーミル・スーズダリ公国の分裂とともに自立しはじめたが、完全に独自の歩みを進めるようになったのは、アレクサンドル・ネフスキーの子ダニールがここを領有(1276頃)して以来のことである。 14世紀初頭にはコロムナ、ペレヤスラブリ・ザレスキー、モジャイスクなどを合せて急速に拡大。ダニールの子ユーリーは 1318年早くもウラジーミル大公位を獲得。特にイワン1世(カリタ)はキプチャク・ハン国の助力を得て、宿敵トベーリを圧倒し、モスクワを北東ロシア最強の国とした。

参考 ブリタニカ国際大百科事典
ヨーロッパ世界の形成と発展

東ヨーロッパ世界の成立
東スラヴ人の動向
14世紀、ロシア諸公国の中でモスクワ大公国がキプチャク・ハン国に取り入って勢力を強めた。イヴァン1世(1325〜1340)は、ハンからウラディミル大公の称号を獲得すると(1328)、モスクワにキエフ府主教を迎え、ロシア教会の中心的地位を確立した。また、モスクワはノヴゴロドとともに商業としてしても栄え、移住民の流入を促した。1380年、ドミートリー・ドンスコイ(1359〜1389)は諸公勢力を結集し、クリコヴォの戦いでハンの大群を撃破した。
キプチャク・ハン国は、まもなくティムールの攻撃を受けて衰退し、その領土からシビル・ハン国・カザン・ハン国・クリミア・ハン国・アストラハン・ハン国などの各ハン国が独立していった。その後、モスクワ大公国はイヴァン3世(位:1462〜1505)の時代にノヴゴドロその他の諸公国を併合し、ほぼロシアの統一を完成させるとともに、1480年にはモンゴルの支配から完全に自立した。
参考
詳説世界史研究歴代君主
- ダニール・アレクサンドロヴィチ (1263年-1303年)
- ユーリー3世(モスクワ大公) (1303年-1325年)
- イヴァン1世 (1325年-1340年)
- セミョーン(モスクワ大公) (1340年-1353年)
- イヴァン2世 (1353年-1359年)
- ドミートリー・ドンスコイ (1359年-1389年)
- ヴァシーリー1世 (1389年-1425年)
- ヴァシーリー2世 (1425年-1462年)
- イヴァン3世 (1462年-1505年)
- ヴァシーリー3世 (1505年-1533年)
- イヴァン4世(イヴァン雷帝) (1533年-1547年)
参考 Wikipedia