ヤハウェ (ヤーヴェ) Yahweh
ユダヤ教の唯一神。 十戒を授け、その順守と引きかえにユダヤの民を守る契約をかわしたとされる。ヤハウェの神殿跡がイェルサレムに一部残る(嘆きの壁)。
ヤハウェ
ユダヤ教の唯一神。 十戒を授け、その順守と引きかえにユダヤの民を守る契約をかわしたとされる。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ヘブライ人とユダヤ教
宗教
ヘブライ人は、古代オリエントで一神教を信じた唯一の民族といえるが、彼らがヤハウェを唯一最高の神として認め、これと契約関係に入ったのは、出エジプト後パレスチナに入るまでの苦難の中においてであった。
王国時代には周辺民族の多神教の影響をうけて、預言者たちに厳しく批判されたが、亡国とバビロン捕囚という民族的苦境のなかで、かえってヤハウェへの信仰は強まり、やがて神と契約しているユダヤ人だけが救済されるという排他的な選民思想や、この救済を実現する救世主(メシア)の到来を待望する信仰が生まれた。『旧約聖書』の編纂が始まったのもこのころからである。
ユダヤ人は捕囚から開放されて帰国すると、イェルサレムにヤハウェの神殿を再建し、儀式や祭祀の規則を定めてユダヤ教を確立した。そこで説かれた最後の晩餐や、天使・悪魔の思想にはペルシアのゾロアスター教の影響が指摘される。のちにユダヤ教が、信仰や日常生活の規則である法律を極端に重んじるようになると、イエスが現れて、形式化した信仰に新しい生命を吹き込むとともに、救済をユダヤ人に限らず全人類に及ぼす道を開いた。なお、ヘブライ人が書き残した神話・伝承・預言者の言葉、神への讃歌などをまとめたユダヤ教の経典は『旧約聖書』として、イエスの教えや弟子たちの行伝・手紙などをまとめた『新約聖書』とならんでキリスト教の経典となり、のちにヨーロッパ文化の基調のひとつ(ヘブライズム)を形成することになる。またイスラーム教でも、前者は経典と認められている。ちなみに「旧約」とは「神との古い契約」の意味で、「神との新しい契約」としてのキリスト教に対照させて、パウロがこう呼んだのに由来している(『新約聖書』の「コリント人への第2の手紙」第3章にこれらの言葉がある)。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
太平天国の興亡
洪秀全と拝上帝会
洪秀全は、客家出身である。客家とは戦乱や生活苦のため、華北地方から南方の福建・広東・江西省や四川省などの山岳地方に流れてきた移住民の集団をさし、一般に、先住民からさまざまな差別と圧迫をうけながら貧しい生活を送っていた。洪秀全は、3回目の郷試(科挙の地方試験)に失敗して失意の病床に臥しているうちに奇怪な夢をみた。その夢とは、自分が黒衣の老人から剣を授けられ、悪魔と戦うというものであった。その後、彼は、プロテスタントの伝道書『観世良言』と出会うことによって、夢でみた黒衣の老人は「上帝」ヤハウェであり、自分はヤハウェの子、すなわちイエス=キリストの弟「天弟」であるとの確信をもつにいたり、ついに拝上帝会を結成したのである。これからすれば、拝上帝会はキリスト教的宗教結社といえる。しかし、上帝とはもともと儒教にいう天の神であり、彼はこの中国古来の上帝をヤハウェにおきかえたのであった。また彼がめざした「地上の天国」(小天堂)とは、「田があればみんなで耕し、食物があればみんなで
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
イスラーム教の特徴
ユダヤ教の神ヤハウェが、選ばれたユダヤの民との間に特別の契約を結ぶのに対して、イスラーム教は血縁的な絆を否定し、すべてのムスリムは同胞としてひとつの共同体(ウンマ(イスラム))を形成するとした。
イェルサレム神殿
古代エルサレムに存在したユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神ヤハウェの聖所
- 前10世紀:ソロモン王が建設(ソロモン神殿・第一神殿)
- 前587年: ネブカドネザル2世によるエルサレム攻囲戦で破壊される
- 前515年: 同じ場所に再建(第二神殿)
- 前20年: ヘロデ王により完全改築に近い形で拡張(ヘロデ神殿)
- 70年: ユダヤ戦争で破壊される
- 現在: ヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分が「嘆きの壁」として残る