ラガシュ (Lagash) 古代メソポタミアの都市、またはその都市を拠点とした都市国家。シュメール初期王朝時代に繁栄し、現代にメソポタミア最大級の都市遺跡を残している。王都はギルス、ラガシュ。都市神はニンギルス(Ningirsu)。
ラガシュ
遺跡
現代のイラク南部に存在する。現代名はテル・アル・ヒバ。その面積は6平方kmに達し、19世紀に発見されて以来大規模な発掘調査が繰り返されてきた。ラガシュ王の碑文の多くが20kmほど北西にあるテルローで発見されたため、かつてはテルロー遺跡がラガシュ市であると推定されていたが、現在ではテルロー遺跡は古代のギルスで、都市ラガシュは現代のテル・アル・ヒバであったことが確認されている。 国家ラガシュの首都がギルスに置かれていた時代が長かったためにこのような事態が発生した。古代のラガシュ王国はラガシュ、ギルス、ニナ・スィララ、グアバなどの都市が連合して成立した国家であった。出土品
ウル・ナンシェ王の貫通孔のある浮彫

グデア王像

歴史
シュメール初期王朝時代
ラガシュ第1王朝(紀元前26世紀頃 – 紀元前24世紀頃?)の下で最盛期を迎えた。 ラガシュ第1王朝の王たちはシュメール王名表には記載されていない。地方的な国家であったためとも考えられるが、現在に残る遺跡からはラガシュが有力国の一つであったことが容易に想像できる。すでにメソポタミア文明の時代の人々にも、ラガシュ王の一覧がシュメール王名表に載っていないことは不思議なことに感じられたらしく、イシン・ラルサ時代にシュメール王名表の形式を真似てラガシュ王の一覧が作成されている(ラガシュ王名表)。ラガシュ・ウンマ戦争
ラガシュ第1王朝とウンマは100年にわたり国境を巡ってラガシュ・ウンマ戦争を起こしていた。この戦争に関して当時のラガシュ王たちがさまざまな碑文を残しており、現存する歴史文書の中では最古級に属する。それによれば、最初はキシュ王メシリム(メスアンネパダ?)の仲介によってラガシュとウンマ(Umma)の間の国境を定め、それを示す石碑が建てられた。しかしウンマが国境を侵し、石碑を移動させたのでエアンナトゥム王はウンマと戦い石碑を元の位置に戻したという。その後エンメテナ王に至るまで3代にわたってたびたびウンマと戦ったと記録されている。後にウンマとラガシュは和平協定を結ぶが、これは史上最初の国際条約といわれている。シュメール の各主要都市国家の場所
シュメールの多くの都市国家はそれぞれ周囲の1000平方キロもの土地を支配していた。 ラガシュ、エリドゥ、キシュ、ニップル、ウルク、シッッパル、アカシャク、ウルなどの都市ははるか昔からその名を轟かせていた。 [put_wpgm id=15]