- ラージプート : ラージャスターン州を中心に居住する部族名。「王子(古代クシャトリヤ階級の子孫)」を意味し、当時の諸王国は、5世紀ころ西インドに移住してインド化した中央アジア系の諸種族や、土着の有力種族が建設したが、支配者たちは自己の支配の正統性を主張するためこの呼称を用いた。
- ラージプート時代 : (7世紀〜13世紀) ヴァルダナ朝が崩壊してからデリーにイスラーム政権がたてられるまでの数世紀間、北インドではラージプート族の出身を誇る多数の王国が興亡したため、この時代をラージプート時代と呼ぶこともある。ラージプート諸国はたがいに抗争を繰り返し、11世紀初めから頻発するイスラーム教徒の侵入に対しても団結して戦うことはほとんどなかった。
ラージプート
アジア・アメリカの古代文明
インドの古代文明
諸王国の抗争
ハルシャの王国(ヴァルダナ朝)が崩壊してからデリーにイスラーム政権がたてられるまでの数世紀間、北インドでは多数の王国が興亡した。それらの国の王のなかにはラージプート族の出身を誇るものが多かったため、この時代をラージプート時代と呼ぶこともある。
ラージプートとは「王子」すなわち「古代クシャトリヤ階級の子孫」を意味している。当時の諸王国は、5世紀ころ西インドに移住してインド化した中央アジア系の諸種族や、土着の有力種族が建設したものであるが、支配者たちは自己の支配の正統性を主張するためこの呼称を用いたのである。ラージプート諸国はたがいに抗争を繰り返し、11世紀初めから頻発するイスラーム教徒の侵入に対しても団結して戦うことはほとんどなかった。
アジア諸地域の繁栄
南アジア・東南アジア世界の展開
ムガル帝国
第3代のアクバル(位1556〜1605)が13歳で即位した当時、ムガル帝国の政権はきわめて不安定であった。しかし、すぐれた補佐役に恵まれた彼は、半世紀にわたる治世の間に、ラージプート諸国をはじめとする敵対勢力を討ち、帝国の版図をデカンの一部を含む北インド全域に広げた。
父シャー・ジャハーンの幽閉して即位した第6代アウラングゼーブ(位1658〜1707)は、正統スンナ派の厳格な信者として宗教的に不寛容で、同じイスラーム教のシーア派やヒンドゥー教徒を圧迫し、彼らの反抗を招いた。アクバルのとき廃されたジズヤも、1679年に復活されている。また彼の時代から首都は再びデリーにもどった。アウラングゼーブは治世の後半にみずからデカン地方へ遠征し、このとき帝国の版図は最大となった。しかし長年の戦争、宮廷の浪費、経済政策の失敗などによって財政は窮乏し、また領内ではラージプート諸侯・シク教徒・マラーター族など諸勢力の反乱が頻発したため、治世の末年には帝国の崩壊はさけられない状態となっていた。
イスラーム世界の形成と発展
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
デリーのムスリム政権
彼らがインド史上に大きな影響を及ぼすようになったのは、アフガニスタンにトルコ系のガズナ朝とイラン系を称するゴール朝が相ついでおこってからである。
これら両王朝は10世紀末からインド侵入をくりかえし、分裂抗争していたラージプート諸王国を撃破した。マフムード(ガズナ朝)、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドの遠征はとくに名高い。彼らの侵入ははじめ略奪を目的としたものであり、財宝や奴隷を手に入れるとアフガン台地に引き揚げていたが、やがてインド内部にとどまり、土地と人民を永続的に支配するようになった。