リトアニア大公国
13〜15世紀におけるリトアニア大公国の領域 Wikipedia
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リトアニア大公国 (B.C.1251〜A.D.1795)

ポーランドの北に、スラヴ系に近いバルト語系のリトアニア人が居住していたが、ドイツ騎士団の進出に対抗して13世紀半ばに統一され、14世紀にはヴィリニュスに都を置いたゲディミナス公ののもとで南・西ロシアの諸公国が併合され、リトアニア大公国となった。

リトアニア大公国

ヨーロッパ世界の形成と発展

東ヨーロッパ世界の成立

西スラヴ人の動向

13世紀末になると統一への動きが活発化し、ヴワディスワフ1世(ポーランド王)とその子カジミェシュ3世(ポーランド王)(カシミール大王 位:1333〜1370)により統一が達成された。カシミール大王はドイツ騎士団と和約を結び、貨幣改革、法典の整備、クラクフ大学の創立などを行い、王権強化に努めたが、シロンスク(シュレジエン)をベーメンに奪われ、その死後ピャスト朝は断絶した。

そのころ、ポーランドの北には、スラヴ系に近いバルト語系のリトアニア人が居住していたが、ドイツ騎士団の進出に対抗して13世紀半ばに統一され、14世紀にはヴィリニュスに都を置いたゲディミナス公ののもとで南・西ロシアの諸公国が併合され、大公国(リトアニア大公国(13世紀〜1795))となった。
1386年、リトアニア大公ヨガイラは、東のモンゴル勢力と北のドイツ騎士団の圧力に抵抗するため、カトリックに改宗してヤドヴィガ(ポーランド女王)と結婚、ポーランド国王を兼任した(ヴワディスワフ2世(ポーランド王))。

リトアニア大公国
13〜15世紀におけるリトアニア大公国の領域 Wikipedia

領域をバルト海沿岸から南東(黒海方面)に拡大していった。
実際は1349年までその領土の大半はルーシ人国家であるヴォルィーニ公国やハールィチ公国と領土争いをしていた地域で、その後はリトアニア大公国がヴォルィーニ公国の地域(のちのポーランド・リトアニア共和国でブジェシチ県・ミンスク県・ヴィテプスク県などが置かれた地域)を、ポーランド王国がハールィチ公国の地域(のちに「共和国」でルーシ県・ポドレ県・キエフ県などが置かれた地域)を獲得した。

参考 Wikipedia

こうして、ヤギェウォ朝(1386〜1572)のリトアニア・ポーランド王国が誕生、15世紀にはドイツ騎士団をたびたび破り、さらに東方のモンゴル支配地域にも積極的に進出するなど強盛を誇ったが、その後次第に衰退し、リトアニアのカトリック化・ポーランド化を招いた。

西スラヴ人の動向 – 世界の歴史まっぷ

参考

詳説世界史研究

リトアニア大公国統治者一覧

リトアニア王となったミンダウガスを除いてリトアニア大公を称した。

初期の大公(1236年 – 1285年)

文献が乏しいため年代はおおよそである。

  • ミンダウガス 1236年 – 1263年 初めは大公、1253年からリトアニア王。
  • トレニオタ 1263年 – 1264年 ミンダウガスの甥。
  • ヴァイシュヴィルガス 1264年 – 1267年 ミンダウガスの子。後継者を残さず死去。
  • シュヴァルナス 1267年 – 1269年 リューリク家出身。
  • トライデニス 1269年 – 1282年
  • ダウマンタス(リトアニア大公) 1282年 – 1285年

ゲディミナス家(1285年 – 1440年)

一部の年代はおおよそである。

  • ブティゲイディス 1285年 – 1291年
  • ブトヴィーダス 1291年 – 1295年 ブティゲイディスの兄弟。ゲディミナス家の祖。
  • ヴィテニス 1295年 – 1316年 ブトヴィーダスの子。
  • ゲディミナス 1316年 – 1341年 ヴィテニスの弟。死後、領土は7人の息子に分割された。
  • ヤヴーヌティス 1341年 – 1345年 ゲディミナスの子。兄のアルギルダスとケーストゥティスにより退位させられた。
  • アルギルダス 1345年 – 1377年 ゲディミナスの子。西方を統治する弟ケーストゥティスとの共同統治。
  • ヴワディスワフ2世(ポーランド王)(ヨガイラ) 1377年 – 1381年 アルギルダスの子。ヨガイライティス家を創設。
  • ケーストゥティス 1381年 – 1382年 ゲディミナスの子、兄アルギルダスとの共同統治者。トラカイを本拠としたリトアニア西部を統治。1381年にヨガイラを退位させてリトアニア全土を支配下に治めたが、翌年にヨガイラに捕われて殺害された。
  • ヨガイラ(復位)1382年 – 1392年 リトアニアとポーランドの人的同君連合を設立。ポーランド王(1386年 – 1434年)。
  • スキルガイラ (摂政)1387年 – 1392年 ヨガイラの弟。ヨガイラから摂政に任じられた。
  • ヴィータウタス 1392年 – 1430年 ケーストゥティスの子。父と共にヨガイラと戦っていたが、後に和解してリトアニア大公位を譲られた。1429年にリトアニア王に即位したが、ポーランドから認められず退位。
  • シュヴィトリガイラ 1430年 – 1432年 ヨガイラの弟。従兄ジーギマンタス・ケーストゥタイティスの信奉者によって退位させられた。
  • ジーギマンタス・ケーストゥタイティス 1432年 – 1440年 ヴィータウタスの弟。シュヴィトリガイラの支持者に殺害された。

ヨガイライティス家(1440年 – 1569年)

リトアニア大公国は1385年の「クレヴォの合同」によりポーランド王国と人的同君連合となったが、1つの家系によって統治されるようになったのは、カジミエラス1世(カジミェシュ4世(ポーランド王))以降である(カジミエラス1世の死後、リトアニアとポーランドで異なる統治者になったことが2度あったが、実質的にはリトアニア側がポーランドの王座にあったと見なされている)。同君連合の君主は、リトアニア大公とポーランド王(リトアニア語: Lenkijos karalius)の2つの称号を保持していた。ヨガイライティス家はゲディミナス家の直系である。

  • カジミェシュ4世(ポーランド王)(カジミエラス1世) 1440年 – 1492年 ヨガイラの子。ポーランド王(1447年 – 1492年)。
  • アレクサンデル(ポーランド王)(アレクサンダラス) 1492年 – 1506年 カジミエラス1世の子。ポーランド王(1501年 – 1506年)。
  • ジグムント1世 (ジーギマンタス2世) 1506年 – 1548年 アレクサンダラスの弟。
  • ジグムント2世 (ジーギマンタス3世) 1548年 – 1569年 ジーギマンタス2世の子。1529年から実質的な統治者。

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