レオポルド1世(ベルギー王) (1790年12月16日〜1865年12月10日) ザクセン=コーブルク=ゴータ家。
ナポレオン戦争終結後独立したベルギーの初代ベルギー国王(在位:1831年 – 1865年)。ヴィクトリア(イギリス女王)の母の弟。
レオポルド1世(ベルギー王)
ベルギーは、ナポレオン戦争の終結後、1815年のウィーン議定書によって現在のオランダと共にネーデルラント連合王国として再編され、同年にルクセンブルク大公国はドイツ連邦に加盟した。
1830年にネーデルラント国王ウィレム1世の支配に対して独立革命を起こし、同年に独立を宣言する。
1831年にはドイツの領邦君主のザクセン=コーブルク=ゴータ家からレオポルドを初代国王として迎えた。
生涯
- 1790年12月16日、コーブルクのエーレンブルク城でザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ・フリードリヒの三男として生まれた。母はアウグステ・ロイス・ツー・エーベルスドルフ。
- 1795年、5歳の時にロシアの近衛軍イズマイロフスキー連隊の大佐となり、それから7年後には少将になった。この時、祖国ザクセン=コーブルク公国はフランス軍の占領下にあった。
- 1806年にパリへ行き、ナポレオン1世と会った時、自分の副官になるつもりはないかと持ちかけられたが、レオポルトはこの申し出を断った。その後、レオポルトは兄たちに続きナポレオン戦争に加わることになった。
- 1815年に陸軍元帥になった。この年ロシア皇帝アレクサンドル1世の親友として、皇帝と共にロンドンを訪れた。この時摂政王太子ジョージ(後のジョージ4世(イギリス王))の一人娘シャーロット王女に見初められ、5月2日に2人は結婚した。しかしシャーロットは1817年12月5日に息子を死産した後、間もなく死去してしまった。レオポルトはその後もイギリスに留まり、国から毎年5万ポンドの年金を給付されてしばらくは数々の趣味に没頭していた。
- 1830年にはオスマン帝国から独立したギリシャから国王就任要請の打診をされたが、これを断った。しかし1831年6月26日には、前年にオランダから独立したベルギーから再び国王就任要請があり、今度は承諾することにした。7月21日にブリュッセルの王宮で初代ベルギー国王に即位した。
- 1832年8月9日、ルイ・フィリップ(フランス王)の娘ルイーズ=マリーと結婚した。
- 1865年12月10日にブリュッセルで死去した。
ヴィクトリア(イギリス女王)とのつながり
ヴィクトリア(イギリス女王)はレオポルド1世(ベルギー王)の姪にあたる。
レオポルド1世は独立を遂げたベルギーの初代国王となったが、ベルギーはあまりにも小さく、他の国々へさらなる勢力拡大を図るため、ザクセン=コーブルク=ゴータ家とイギリス王室を結びつけようと、甥のアルバート(ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)とヴィクトリアの結婚を望んでいた。ヴィクトリアはとてもアルバートを気に入り、ビクトリアの意志でふたりは結婚する。レオポルド1世は2人の良き相談相手であり、信頼され慕われていた叔父であった。
子女
即位前にシャーロット妃との間に1男を儲けたが死産し、シャーロット妃も間もなく死去した。
即位後にルイーズ=マリー王妃との間に以下の3男1女を儲けた。
- ルイ=フィリップ(1833年 – 1834年)
- レオポルド2世(1835年 – 1909年)ベルギー王
- フィリップ・ウジェーヌ(1837年 – 1905年) フランドル伯爵
- マリー=シャルロット(1840年 – 1927年) メキシコ皇帝マクシミリアーノ1世皇后
レオポルド1世(ベルギー王)が登場する作品
ヴィクトリア女王 世紀の愛
ヴィクトリア女王 世紀の愛 あらすじと解説 – 世界の歴史まっぷ