フォロ・ロマーノ
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ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂


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ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂

イタリアのローマおよびバチカンにあるユネスコの世界遺産の登録物件。登録は1980年で、ヴェネツィア広場を中心としたエリアが登録されている。1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されている。また、同じく世界遺産に登録されている「バチカン市国」とも隣接し、こちらと一体となった保全活動が実施されている。

ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂

地中海全域を支配したローマ帝国の首都

イタリアの首都ローマは、紀元前1〜紀元後5世紀にかけて地中海全域を支配した古代ローマの歴史を物語る都市である。伝説によると、オオカミに育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスのうち、兄のロムルスが紀元前754年にローマを築いたとされる。「ローマ」の名は、そのロムルスに由来している。

この地に人が住み始めたのは紀元前10世紀頃で、その後、都市国家を経て共和政国家となった。紀元前270年頃にイタリア半島全土を掌握したローマは、地中海の覇権をかけて大国カルタゴと争い、3度にわたって繰り広げられたポエニ戦争に勝利したことで、ローマの権勢は揺るぎのないものとなった。

それまでの共和政に陰りが見え始めた紀元前1世紀には、三頭政治やガリア遠征を経て力を蓄えたユリウス・カエサルが独裁体制を確立して改革を断行。そして紀元前27年、カエサルの後を継いだアウグストゥスが初代皇帝となり、帝政ローマの時代が幕を開けた。歴代の皇帝は凱旋門や劇場、浴場、神殿、円形闘技場など大規模建造物を次々と建築し、現在もその遺跡が残っている。

4世紀には、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、教皇の住むカトリック教会の中心地としてキリスト教の聖堂群がつくられた。

5世紀後半に西ローマ帝国が滅亡すると、8世紀以降は教皇領の首都になり、ルネサンス期には強大な力を有する教皇の下、ミケランジェロ・ブオナローティラファエロ・サンティ、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ, といった著名な芸術家の活動により、芸術の都としての地位も確立した。

ローマはルネサンス以降も芸術・文化の発信地の役割を担い、長い歴史のなかでそれぞれの時代に応じて地位や立場を変化させながら、共和政以降、現在までの約2,600年間、ヨーロッパのなかで重要な役割を果たしてきた。

世界遺産に登録されたローマの歴史地区には、ローマ発祥の地とされる七つの丘をはじめ、コロッセウムパンテオン(ローマ)、カラカラ浴場など、ローマの力と繁栄を象徴する遺跡が含まれている。コロッセウムは80年につくられたローマ世界最大の円形闘技場で、ティトゥス帝の時代に完成し、剣闘士同士や剣闘士と猛獣との格闘などを公開する市民の娯楽の場になった。

パンテオンはローマ人が信仰する神々全てを祀った「万神殿」で、アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパが紀元前27年に建て、ハドリアヌス帝が改築。ローマ建築の傑作であり、ミケランジェロが「天使の設計」と絶賛した。カラカラ浴場は市民のためにカラカラ帝がつくった大規模な公衆浴場跡である。

ローマ歴史地区は当初、3世紀のアウレリアヌスの城壁内が世界遺産に登録されていたが、1990年に登録範囲が拡大され、ウルバヌス8世(ローマ教皇)が17世紀に築いた城壁内まで世界遺産に含まれた。

アウレリアヌス帝によって設けられた城壁は、ローマ中心部を星型に取り囲んでいる。ゲルマン人などの外敵の侵入を防ぐ目的でつくられたもので、ローマ皇帝最盛期の遺構の大半は、この城壁内にある。

現在の登録範囲には城壁外に位置するサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂のほか、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂やサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂など、ヴァチカン市国が直轄する3聖堂も含まれている。

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建造物

フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡。
古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルムと呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けた。

コロッセオ

80年にティトゥス帝が建築。当時はフラウイウスの闘技場と呼ばれていた。コロッセオは長径が188m、短径が156mの楕円形。高さは48.5mの4層構造。収容人数は5万人とも6万人以上ともいわれている。ローマ帝国時代、ここでは血をすわせるため白い砂が撒かれその上で剣闘士同士や、剣闘士と猛獣の戦いが見世物として行われた。時には水を張って模擬海戦も行われたという。
現在は、地上部分が露出している。

コンスタンティヌスの凱旋門

当時副帝であったコンスタンティヌス帝が正帝マクセンティウス帝に対し、312年ミルヴィオ橋の戦いで勝利したことを記念して、315年に作られた。高さ28m、幅25.7m。見事なレリーフが施されている。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂

コンスタンティヌス1世が312年に建築した、世界で初めての本格的なキリスト教聖堂。ラテラノ条約によって、バチカン市国の領域外にありながらバチカン市国の特別な権利が認められている。ローマ教皇のローマ司教としての司教座聖堂(カテドラル)。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

7つの丘の1つエスクィリーノの丘の上に建つ聖堂。教皇リベリウスの夢の中で「夏に雪の降った地に教会を立てよ」と聖母が告げ、実際に真夏に雪が降った場所に聖堂を建てたという伝説から、雪の聖母聖堂とも言われる。鐘楼は、1377年頃に建築され、ローマで最高の75mを誇る。

サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

4世紀、コンスタンティヌス帝により建築された、聖パウロの墓がある聖堂。奥行き131m、幅65m、高さ30m。内部は80本の大理石の柱が4列に並んでいる。フオーリ・レ・ムーラとは、城壁の外という意味で、その名の通り城壁から南へ2kmはなれた場所にある。聖堂の名前を日本語に訳すと「城壁外の聖パウロ大聖堂」という名前になる。建築当時は小さな聖堂であったが、その後大規模な改修が行われた。しかし1823年の火災で全壊、1928年に再建された。

カラカラ浴場

217年にカラカラ帝によって造られた公衆浴場。1600人収容可能だったと推定されている。浴場以外にも図書館などもあり、ローマ市民の娯楽施設であったことが伺える。度重なる破壊と略奪があったが、現在もモザイク模様の床などが残る。

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