ヴァルミーの戦い Bataille de Valmy (1792.9)
北フランスのヴァルミーで、フランス革命軍とオーストリア・プロイセン同盟軍が交戦。フランスはオーストリアに宣戦を布告したが、国内の混乱状態、準備不足のため劣勢で各地で敗北。議会は非常事態宣言を行い、全国から戦意の高い義勇兵が集まった。最初の軍事的勝利をえてフランスは逆襲に転じることができた。
ヴァルミーの戦い
フランス革命戦争初期の戦い。1792年9月20日北フランスのマルヌ県バルミーで、C.デュムリエの率いる革命軍とプロシア=オーストリア連合軍が交戦し、革命軍は開戦以来初の勝利を得た。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
戦争データ
年月日:1792年9月20日 | |
場所:フランス北東部(マルヌ県ヴァルミー Valmy) | |
結果:フランス革命軍の逆転勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国ブルボン朝 革命軍 | プロイセン王国 |
指導者 | |
フランソワ・クリストフ・ケレルマン等 | ブラウンシュバイク公 |
戦力 | |
4万7000人 | 3万4000人 |
損害 | |
300人 | 184人 |
参考 Wikipedia
欧米における近代社会の成長
フランス革命とナポレオン
立憲議会の成立と戦争の開始
前線ではフランスの革命軍は9月20日、ヴァルミーで敵の侵入軍を撃退しライン川左岸やネーデルラントを占領した。革命軍は最初の軍事的勝利をえて逆襲に転じることができた。
世界史B
10.近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立
46. フランス革命
やがてジャコバン派は内紛をおこし、ロベスピエールはダントンらを粛清し権力を強めた。しかし1792年9月のヴァルミーの戦いの勝利のあと、戦況の好転で危機が緩和されると、独裁と経済統制に不満なブルジョワと保守化した農民は恐怖政治への反発を強めた。こうして社会的支持を失って孤立したロベスピエールに対して、1794年7月、テルミドールのクーデタがおこり、ロベスピエールは逮捕・処刑された。(革命の第4段階)