ヴァレンヌ事件
ヴァレンヌ事件 ブルジョワに扮したルイ16世とその家族が逮捕される場面(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ヴァレンヌ逃亡事件


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ヴァレンヌ逃亡事件

1791年宮廷と議会の間の調停にたっていた穏健派のミラボーが病死すると、革命の急進化に不安をもったルイ16世一家は、6月20日パリを脱出し、王妃マリ=アントワネット の母国オーストリアへの亡命をはかったが、国境近くのヴァレンヌで発覚し、パリに送還された事件。国王の権威は失墜した。

ヴァレンヌ逃亡事件

立憲君主制の成立
立憲君主制の成立 ©世界の歴史まっぷ

フランス革命の際、1791年6月20日夜、国王ルイ16世と王妃マリ・アントアネットがオーストリアへの逃亡をはかり、東部国境に近いバレンヌにおいて発見され、パリに送還された事件。共和主義派を刺激し、サン=キュロットを中心とする王政廃棄の大衆暴動が続発した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018

欧米における近代社会の成長

フランス革命とナポレオン

革命の進展

1791年宮廷と議会の間の調停にたっていた穏健派のミラボーが病死すると、革命の急進化に不安をもったルイ16世(フランス王)とその一家は、6月20日パリを脱出し、王妃マリ=アントワネット Marie Antoinette (1755〜1793)の母国オーストリアへの亡命をはかった。しかし、国境近くのヴァレンヌ Varennes でこの逃亡は発覚し、国王一家はパリに連れもどされた(ヴァレンヌ逃亡事件)。民衆は国王への不信をつのらせた。

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