三角貿易
商人と南部の港のシーン (17世紀-18世紀) ©Public domain
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三角貿易

大西洋:17〜18世紀、西ヨーロッパの武器・雑貨を西アフリカで黒人奴隷と交換、それを南北アメリカ大陸・カリブ海へ運んで砂糖・綿花などを得、それを西ヨーロッパに運ぶ貿易。イギリスなどが三角貿易で得た富は、産業革命の展開を促した一因とされる。
アジア:18世紀末〜、インド産アヘンを中国に、中国の茶を本国へ、イギリスの綿製品をインドへ運ぶ貿易。中国のアヘン流入は急増し、その害毒が広まり、1830年代からは中国では銀価が高騰し、社会不安も招いた。

三角貿易

  • 大西洋
    収支のバランスを取ることを目的として、3地点間でおこなわれる貿易。17〜18世紀の大西洋を舞台に、西ヨーロッパの武器・雑貨を西アフリカで黒人奴隷と交換し、それを南北アメリカ大陸・カリブ海へ運んで砂糖・綿花などをえ、それを西ヨーロッパに運ぶ貿易がおこなわれた。イギリスなどが三角貿易で得た富は、産業革命の展開を促した一因とされる。
  • アジア
    18世紀末からイギリスが中国・インドとのあいだでおこなった貿易。イギリスは中国から大量の茶を輸入したが、見あう輸出品がなく、毎年多額の銀が流出していた。産業革命の進展にともなって資金需要が高まると、赤字が続く中国貿易への批判が強まった。そこで東インド会社は従来の片貿易を、インド産アヘンを中国に、中国の茶を本国へ、イギリスの綿製品をインドへ運ぶ三角貿易に再編した。中国へのアヘン流入は急増し、その害毒が広まるとともに、1830年代からは中国では銀価が高騰し、社会不安も招いた。
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欧米における近代社会の成長

産業革命

イギリスの産業革命

産業革命は、なぜ最初にイギリスでおこったのだろうか。ひとつの原因は、対外的なものでる。すなわち、七年戦争によってイギリスが世界商業の覇権を握り、広大な植民地帝国を形成したことであった。とくに、イギリスは奴隷貿易を軸に、自国と西アフリカ、カリブ海や北米南部を結ぶ「三角貿易」を形成して、大きな利益をえた。この収益が、産業革命の資本源となる一面もあった。

アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

アヘン戦争(中国の近代の起点)

イギリスの対清貿易は、本国でのの需要の増大にともなって、中国茶の輸入が急速に増大していた。産業革命で生産をのばした綿製品は中国では売れず、当初はイギリスが中国の茶を一方的に輸入し、代価を銀で支払うという完全な片貿易(イギリス側の入超)になっており、毎年イギリスから中国へ大量の銀の流出が続いていた。とくにアメリカの独立によって最大の植民地であった北米植民地を失ってからは、イギリスは中国への銀の支払いにいよいよ苦しむようになった。これを打開するためにイギリスは、18世紀末になるとインドでアヘン(阿片) を製造させ、本国の綿製品をインドに輸出してアヘンを購入し、インド産アヘンを中国に輸出して茶の代価にあてるという三角貿易を開始して事態の打開をはかった。これによりアヘン吸飲の悪習が中国社会に広まり、清朝政府のアヘン輸入・吸飲禁止令にもかかわらず、アヘンの密輸量は年をおって増加し、1830年代になると、ついに中国側がイギリスに対して入超に転じ、代価として茶だけでは足りず、逆に中国からイギリスへ大量の銀が流出するようになった 。こうした銀の大量流出は、必然的に銀価の高騰を招いたが、地丁銀制では納付すべき税額が銀価によって定められていたから、銀価の高騰は農民の負担を増大させ、その生活を圧迫していった。

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