中世都市 (11世紀〜12世紀)
中世西ヨーロッパで封建社会が安定して荘園内の生産が増大すると、商業が活況を呈し生まれた商人集落が、荘園内の手工業者などを吸収して発展した都市形態。都市全体が城壁で囲まれ、城門によってのみ外部の世界とつながり、都市の中心部には教会と市庁舎が建てられていた。都市が城塞の役割を果たし、当時の商工業・宗教・政治の中心であり、独自の都市法を持つ自治団体であった。
11世紀から12世紀に見られた都市と商業の発達を「商業の復活」「商業ルネサンス」とも呼ぶ。
中世都市
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
中世都市の成立と遠隔地商業
10〜11世紀頃から封建社会が安定し、荘園内の生産が増大すると、西ヨーロッパ経済に新しい動きがみられるようになった。人口は急速に増加し、開墾と移住がさかんに行われた。また、各地に余剰生産物の交換を行う定期市が開かれ、長く停滞していた商業が再び活況を呈してきた。さらに、ムスリム商人やヴァイキングの商業活動によって貨幣の使用が進むと、商人たちの中には安全で交通の便利な場所に商人集落(ヴィク)を形成するものも現れた。それらは荘園内の手工業者などを吸収し、しだいに都市(中世都市)に発展した。
ケルンやミラノといった古代以来のカトリック教会の司教座都市でも、商業の復活とともに商人集落が都市の外側に形成され、司教の保護下に反映し、やがてそれぞれの都市に統合されていった。
交易の範囲も、当初は都市と近郊農村との局地的なものであったが、十字軍などの影響で遠方との交易路が開かれると、遠隔地商業が盛んとなった。その中心をなしたのが、地中海地域と北海・バルト海地域の二大商圏である。地中海では、イタリアのヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの海港都市が、東方貿易(レヴァント貿易)により香辛料や絹織物といった価格差の大きい商品を輸入して利益をあげた。それにともない、内陸のミラノやフィレンツェも毛織物業や金融業で栄えた。
他方、北海・バルト海方面では、北ドイツのリューベック・ハンブルク・ブレーメンやフランドル地方のアントウェルペン(アントワープ)・ブリュージュ・ガン、イングランドのロンドン・ブリストルなどが、木材・海産物・塩・毛皮・穀物・鉄・毛織物といった生活必需品の取引で栄えた。
また、地中海商圏と北海・バルト海商圏を結ぶ内陸部にも都市が発達した。特に、交通の要衝をなすフランスのシャンパーニュ地方では定期的に大市(シャンパーニュの大市)が開かれ、各国の産物が取引されてにぎわった。
ヴェネツィアの祭りの光景
奥の木製の太鼓橋が有名なリアルト橋で、祭りの行列がちょうど渡っているところである。大運河には多くのゴンドラが浮かび、左手のロッジア(片側だけ壁のない廊下)に向かっている。ヴェネツィアの繁栄ぶりがうかがえる。
このほか、ドイツではライン河沿いのケルン・マインツやドナウ川上流のニュルンベルク・アウクスブルク・ミュンヘンが、フランスではセーヌ川沿いのパリ・ルーアンやローヌ河谷のリヨン、ガロンヌ川下流のボルドーなどが繁栄した。
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ネルトリンゲン
中世都市の住民は商人と手工業者が中心で、人口は普通1000人〜5000人くらいで、城壁内の市民の家屋は木造で、多くは2〜6階におよんでいた。ほとんどの都市が市門と市壁をもち、この中に逃げ込んで1年と1日経つと、荘園の不自由な農奴も自由な身分となった。写真は現在の南ドイツの都市ネルトリンゲン。教会を中心に周囲を市壁で囲った中世都市の様子をよく示している。(もういちど読む山川世界史)
ロドスの中世都市
ロドス島の首都ロドスの旧市街には、かつて聖ヨハネ騎士団が築いた城塞都市の特質が良好に保存されており、中世ヨーロッパ都市の優れた例証として評価され、「ロドスの中世都市」として世界遺産に登録されている。