乙巳の変
乙巳の変 左上は皇極天皇。談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』©Public domain

乙巳の変


乙巳の変 いつしのへん

乙巳の年(645)6月に起こった政変。中大兄皇子・中臣鎌足らにより蘇我本宗家の蘇我蝦夷・入鹿親子が滅ぼされた。この後に起こった一連の改革が、大化改新である。

乙巳の変

乙巳の年(645)6月に起こった政変。中大兄皇子・中臣鎌足らにより蘇我本宗家の蘇我蝦夷・入鹿親子が滅ぼされた。この後に起こった一連の改革が、大化改新である。

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蘇我氏の専横

622年4月8日 厩戸王(うまやどおう)(聖徳太子)死去。

推古天皇30年2月22日 朝廷の政を執っていた厩戸王(推古天皇の甥)が死去により、大豪族・蘇我氏を抑える者がいなくなり、蘇我氏は天皇家を凌ぐほどの専横となった。
董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判されている(760年 『藤氏家伝』大織冠伝)。

626年6月19日 蘇我馬子(そがのうまこ)死去。

推古天皇34年5月20日 蘇我馬子が死に、子の蘇我蝦夷(そがのえみし)がかわって大臣となった。

628年4月15日 推古天皇崩御

推古天皇36年3月7日 推古天皇が後嗣(こうし)を指名することなく崩御した。

皇位継承争い

後継者・山背大兄王(やましろのおおえのおう)(聖徳太子の子)は、父・厩戸王(聖徳太子)が蘇我氏の血縁であり、母は蝦夷の妹であるため、蘇我氏に近かったが、欽明天皇の庶子である用明天皇の直系・山背大兄王が皇位につき上宮王家(聖徳太子の家系)が勢力を持つことを嫌った蘇我蝦夷は、欽明天皇の嫡男である敏達天皇の直系の田村皇子を次期皇位に推し、山背大兄王を推す叔父の境部摩理勢(さかいべのまりせ)を滅ぼして、田村皇子の即位を強行した。

629年2月2日 舒明天皇(じょめいてんのう)即位

蘇我蝦夷に推され田村皇子は第34代天皇に即位した。(舒明天皇)

641年11月17日 舒明天皇崩御

舒明天皇13年10月9日 舒明天皇は崩御し、皇后であった宝皇女が即位した(皇極天皇)。蘇我氏の専横は更に甚だしくなった。

643年 上宮王家の滅亡

蘇我蝦夷は朝廷の許しを得ずに、子の蘇我入鹿(そがのいるか)に紫冠を授け大臣とする。
蘇我入鹿は蘇我氏の血を引く古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を次期天皇に擁立しようと望み、有力な皇位継承権者・山背大兄王の住む斑鳩宮(いかるがのみや)を攻めた。
山背大兄王は王子と共に自決し、聖徳太子の血を引く上宮王家は滅亡した。

645年6月12日 蘇我入鹿暗殺

乙巳の変 舞台となった 板蓋宮 
乙巳の変 舞台となった奈良県明日香村・板蓋宮 ©osakaosaka
中臣鎌子は、蘇我氏の専横を憎み蘇我氏打倒の計画を密に進めた。

  • 軽皇子に接近する
  • 中大兄皇子と出会い、蘇我氏打倒の密談を行う。
  • 蘇我一族の長老・蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわまろ)を同志に引き入れ、その娘を中大兄皇子の妃とする。

三韓(新羅百済高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日し、朝廷(板蓋宮(いたぶきのみや))で行われる「三国の調の儀」に参加する蘇我入鹿を暗殺した。

蘇我氏(蘇我本宗家)の滅亡

蘇我蝦夷は舘に火を放ち『天皇記』、『国記』、その他の珍宝を焼いて自決したことにより、長年にわたり強盛を誇った蘇我本宗家は滅亡する。
6月14日、皇極天皇は軽皇子へ譲位し(孝徳天皇)、中大兄皇子は皇太子に立てられた。
中大兄皇子は阿倍内麻呂を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣、中臣鎌足を内臣に任じ、後に「大化の改新」と呼ばれる改革を断行する。

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