保元・平治の乱
『保元・平治の乱合戦図屏風』保元の乱 白河殿焼き討ち/メトロポリタン美術館所蔵 ©Public Domain

保元・平治の乱

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保元・平治の乱

保元・平治の乱ほうげん・へいじのらんは、平安時代末期に起った2つの争乱。

  • 保元の乱:藤原忠通・頼長兄弟の争いが崇徳上皇・後白河天皇兄弟の対立と結びつき,保元元年(1156)7月鳥羽法皇の死を機に勃発した戦い。上皇側は敗れ,崇徳上皇は讃岐に配流、頼長は敗死し、天皇側を勝利に導いた源義朝・平清盛らの武士が政界に進出することとなった。
  • 平治の乱:後白河院政開始後の信西(藤原通憲)の専横に対して不満をもった藤原信頼・源義朝が平治元年(1159)12月に起した争い。信西の武力的後援者の平清盛が熊野詣に出かけた留守をねらって挙兵したが、引返した清盛軍に敗れて信頼は討たれ、尾張に逃れた義朝も殺され、平氏の全盛期を迎えた。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2017

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