閻立本 光武帝(漢)
後漢の光武帝 (閻立本/画) ©Public Domain

光武帝(漢)


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武帝(漢) (劉秀)(紀元前6年〜57年)

後漢の初代皇帝(在位25年8月5日 - 57年3月29日)。新の滅亡後も群雄の争いは続いたが、漢の一族である劉秀りゅうしゅうは、豪族を率いて勢力を伸ばし、漢(後漢)を復興し、洛陽に都をおいた(25)。光武帝(漢)は赤眉の乱を鎮圧すると(27)、内政に力を注ぎ、前漢の諸制度を復活し、儒教的な秩序のもとに国内の平和を確立しようとする一方、対外的には消極策をとった。

光武帝(漢)

清王朝を滅亡させ、漢王朝を再興

前漢初代皇帝劉邦の9世の子孫。南陽郡の豪族で、名を劉秀りゅうしゅうといった。赤眉、緑林をはじめとする民衆の反乱、さらに地方豪族の反乱が相次ぐなか、劉秀も長兄の劉演りゅうえんと族兄の劉玄りゅうげんとともに、幾重もの通婚関係にある南陽の諸豪族を糾合きゅうごうして挙兵した。はじめ劉玄を立てて更始帝こうしていとしたが、華北を平定するに至って、「四、七の際、火は主になれ(高祖(漢)の即位から228年後、漢王朝が天下を回復する)」という符命に基づいて、自ら帝位に就いて光武帝と称し、洛陽を帝都と定めた。地方にはまだ割拠する勢力があったが、劉秀は親征し、あるいは諸将を派遣して37年までにほぼ天下平定を成し遂げた。
前漢皇帝系図
前漢皇帝系図 ©世界の歴史まっぷ
讖緯説しんいせつ:当時、巷では讖緯説や災異説といった予言が流行しており、王莽も光武帝もそれを利用した。予言を記した文字は符命または符図と呼ばれ、絶対的な権威をもつとされていた。
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アジア・アメリカの古代文明

アジア・アメリカの古代文明
アジア・アメリカの古代文明 ©世界の歴史まっぷ

中国の古代文明

新と後漢

新(中国)(8〜23)をたてた王莽おうもうは、周の政治を理想として『周礼しゅうらい』などの儒教の経典に基づいて政治をおこない、官制や貨幣制度を改め、全国の土地を国有にし、奴隷の売買を禁じ、また商工業を統制した。その極端な復古主義の政策は社会の実情に合わず、農民や豪族の反抗を招いた。対外的にも、匈奴や西域諸国、高句麗などが離反した。
こうした政治の混乱のなかで農民の反乱(赤眉の乱せきびのらん 18〜27)がおこり、それに乗じた地方豪族の反乱もおこって、都の長安は陥落し、王莽は殺されて新はわずか15年で滅亡した(23)。

新の滅亡後も群雄の争いは続いたが、やがて漢の一族である劉秀りゅうしゅう(光武帝(漢))は、豪族を率いて勢力を伸ばし、漢(後漢)を復興し、洛陽に都をおいた(25)。光武帝(漢)は赤眉の乱を鎮圧すると(27)、内政に力を注ぎ、前漢の諸制度を復活し、儒教的な秩序のもとに国内の平和を確立しようとする一方、対外的には消極策をとった。

秦・漢帝国と世界
新と後漢 後漢 秦・漢帝国と世界 漢(王朝) ローマ帝国へ 匈奴 2世紀の世界地図
2世紀の世界地図 ©世界の歴史まっぷ
前漢以来、倭人は朝鮮におかれていた楽浪郡との間を往来していたが、後漢のはじめには、北九州にあった奴国なのくにの使者が洛陽に赴き、光武帝(漢)から印綬いんじゅ(「漢委奴国王印かんのわのなのこくおういん」)を与えられた(57)。
漢委奴国王印
漢委奴国王印
漢委奴国王印

1784年(江戸時代)、北九州の博多にある志賀島(福岡市)で、農民の甚兵衛が田の用水路をなおしていたとき、金印を発見した。甚兵衛は庄屋と相談して藩主の黒田家に届けでた。その印面には「漢委奴国王」と彫られており、光武帝によって奴国王に与えられたと『後漢書』に記されている印綬であると考えられている。

漢代の文化
儒学

後漢の光武帝(漢)の保護・奨励により儒学は国家の統治理念として他の学問を圧倒したばかりか、日常生活の規範ともなって定着した。このような儒教の国教化は、その教説の固定化を招き、学者はもっぱら秦代の焚書で失われた古書の復元や経典の注釈に力を注ぐ訓詁くんこに努め、訓詁学は後漢の馬融ばゆう鄭玄じょうげんらによって大成された。

詳説世界史研究

子女

  • 皇后 郭聖通(後廃)
    東海恭王 劉彊 長子
    沛献王 劉輔 次子
    済南安王 劉康 五子
    阜陵質王 劉延 七子
    中山簡王 劉焉 十子
  • 美人許氏
    楚王 劉英 三子
  • 光烈皇后 陰麗華
    明帝 劉荘 四子
    東平憲王 劉蒼 六子
    広陵思王 劉荊 八子
    臨淮懐公 劉衡 九子
    琅邪孝王 劉京 十一子
  • 舞陰公主 義王 – 太僕 梁松(酒泉太守・宣徳将軍・九江太守梁統の子)に嫁す。涅陽公主 中礼 – 大鴻臚 竇固(涼州牧・大司空竇融の弟の奉車都尉竇友の子)に嫁す。
  • 館陶公主 紅夫 – 駙馬都尉 韓光に嫁す。
  • 淯陽公主 礼劉 – 長楽少府 郭潢(郭皇后の弟の大鴻臚郭況の子)に嫁す。
  • 酈邑公主 綬 – 新陽侯世子 陰豊(陰皇后の弟の少府陰就の子)に嫁す。

後漢の歴代皇帝

後漢の歴代皇帝一覧

廟号姓諱諡号在位
1世祖劉秀光武帝(漢)23年 - 57年
2顕宗劉荘明帝(漢)57年 - 75年
3粛宗劉炟章帝(漢)75年 - 88年
4穆宗劉肇和帝(漢)88年 - 105年
5 劉隆殤帝(漢)105年 - 106年
6恭宗劉祜安帝(漢)106年 - 125年
7 劉懿少帝(漢)125年
8敬宗劉保順帝(漢)125年 - 144年
9 劉炳沖帝(漢)144年 - 145年
10 劉纘質帝(漢)145年 - 146年
11威宗劉志桓帝(漢)146年 - 167年
12 劉宏霊帝(漢)168年 - 189年
13 劉辯少帝(漢)189年
14 劉協献帝(漢)189年 - 220年
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