名誉革命
オランダ、ゼーラント州に到着したウィリアム3世(Ludolf Bakhuizen画/マウリッツハイス美術館蔵)©Public Domain

名誉革命


名誉革命( A.D.1688〜A.D.1689)

イギリス議会は専制的なジェームズ2世(イングランド王)をフランスに追放し、かわってメアリー2世とその夫でオランダの総督ウィリアム3世を共同統治の王として迎え、「権利の宣言」を承認し、「権利章典」として発布した。これによって議会が主権を握る立憲王政が確立、絶対王政は消滅した。

名誉革命

データ

種類無血クーデター
目的復古王政の専制打倒、カトリック勢力の排除、イングランドの対仏同盟から対蘭同盟への切り換え
対象ステュアート朝
結果メアリー2世(イングランド女王)ウィリアム3世(イングランド王)の即位、権利の章典の発布、立憲君主制及び議会制民主主義の確立、英仏軍事同盟の解消と大同盟戦争・第2次百年戦争の開幕
発生現場イギリス

参考 Wikipedia

ヨーロッパ主権国家体制の展開

イギリス立憲政治の発達

王政復古から名誉革命へ

しかし、次のジェームズ2世(イングランド王)(位1685〜1688)の政治も専制的であり、カトリックの復活を意図しているような疑惑もあったため、1688年、議会は一致してジェームズ2世をフランスに追放し、かわってメアリー2世(イングランド女王)(位1689〜1694)とその夫でオランダの総督ウィリアム3世(イングランド王)(位1689〜1702)を共同統治の王として迎えた。両王は議会が提出した「権利の宣言」を承認し、「権利章典」として発布した。これによって、国王の権利が大幅に制約され、議会が主権を握る立憲王政が確立、絶対王政は消滅した。この革命を名誉革命という。この革命によって確立した体制は、以後、1世紀以上にわたってイギリスの社会や政治のあり方を決めることになる。さきのピューリタン革命と合わせて、「イギリス革命(市民革命)」と呼ぶこともある。

権利の章典(1689年)

1. 王は、その権限によって、議会の同意なしに、法の効力を停止したり、法の施行を停止したりする権力があるという主張は、違法である。

4. 国王大権を口実として、議会の承認なしに、議会が承認するよりも長期間にわたり、また議会が承認するのと異なる方法で、王の使用のために金銭を徴収することは、違法である。

6. 議会の同意しない限り、平時に王国内で常備軍を徴収し維持することは、法に反する。

8. 国会議員の選挙は自由でなければならない。

9. 議会での言論の自由や討論や議事手続は、議会以外のいかなる裁判所や場所でも弾劾されたり問題とされてはならない。

13. また、すべての苦情を除き、法を修正・強化・保持するため、議会はしばしば開かれなければならない。

17〜18世紀のヨーロッパ文化

「生活革命」

自由で身分にこだわらなかったコーヒーハウスは、ピューリタン革命と名誉革命という、17世紀の2つの革命によって伝統的な支配階級の多くの家系がゆらぎ、他方で貿易が大発展したことで商人など市民の力が強くなったために、人々が比較的簡単に社会的に上昇したり、転落したりするようになった時代の産物でもあった。しかし名誉革命後、社会の体勢が安定してくるにつれて、18世紀のイギリス社会は階層間の流動性が低下し、社会層が固定的になったため、これほど流行したコーヒーハウスも急速に下火になり、身分や階層による入会制限の厳しい「クラブ」が多くなった。

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