吐蕃( A.D.618〜A.D.842)
吐蕃は、7世紀初め、チベットに成立した王国の中国名。ソンツェン・ガンボが建国。しばしば唐と戦ったが、9世紀初め和平。843年に内紛により分裂し、崩壊。チベット文字が制定され、仏教が国教とされた。また、中国史料でチベット地方の称。
参考 デジタル大辞泉
吐蕃
アジア・アメリカの古代文明
中国の古代文明
東アジアの風土と民族
チベット高原とその周辺に居住するチベット族は、古くは氐・羌などと称された。7世紀初めには政治的に統一し、仏教を取り入れ、文字を作るなどその文化の基盤をきずいた。漢族は、これを吐蕃と呼んだ。
東アジア文化圏の形成
唐文化の波及と東アジア諸国
吐蕃(7〜9世紀)は、チベットにおいてソンツェン・ガンポが建国した。吐蕃は国力が強大となり、しばしば中国に侵入したので、唐は皇女(文成公主)を降嫁し、その慰撫につとめた。
吐蕃はインド系の仏教(密教)を受容し、チベット仏教(ラマ教)の基礎が形成され、また、インド系の文字をもとにして独自のチベット文字がつくられた。安史の乱によって唐が衰え始めると、吐蕃は勢力を拡大し、敦煌を占領し、一時長安にも侵入(763)するなど、唐を苦しめた。823年、ラサにたてられた「唐蕃会盟碑」は、両国の和約を記したものであるとともに、漢文・チベット文で書かれており、言語学上においても貴重なものとなっている。
東アジア諸地域の自立化
西夏の成立
唐末、黄河が屈曲するオルドスにおこったチベット系のタングート族(党項)は、吐蕃・ウイグルの衰退に乗じて東西交通の要衝河西地方(その中心が敦煌)に進出し、東西貿易路から得られる利益を基礎に強大化した。
西夏の成立 – 世界の歴史まっぷ