呉楚七国の乱
呉楚七国世系 ©Public Domain

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楚七国の乱 (紀元前154)

前漢第6代の景帝(漢)のときにおきた、呉王を中心とする劉氏一族の7人の諸侯がおこした反乱。呂后の時代に功臣出身の異姓の諸侯は滅ぼされた。劉氏一族の諸侯はしだいに勢力が強まり、中央政府に反抗的になったため、諸侯の領土の削減をはかると、呉王を中心に反乱となった。約3ヵ月後、呉王らが殺され乱は鎮圧、諸侯の権力は弱められた。

呉楚七国の乱

中国、前漢の景帝(漢)のとき呉など7国が起こした乱。漢の高祖は劉氏一族や功臣など諸侯王を各地に封じ、郡県制と併用して郡国制をしいたが、その末年には、異姓諸王をほとんど滅ぼし、劉氏一族のみを王とした。景帝のとき、鼂錯ちょうさく(晁錯)が御史大夫となり、中央集権を強化すべく諸侯王の領地削減を実施に移すと、紀元前154年呉王がまず反乱を起こし、続いて済南王、斎川王、膠東王、趙王、楚王、膠西王の6王がこれに続き、南越や匈奴もこれに荷担した。景帝は鼂錯を死刑にしたが、反乱はしずまることなく続いた。しかし、約3ヵ月後、呉王らが殺され乱は鎮圧された。以後、諸侯王の領土は削られ、種々の禁令が設けられて、王とは名のみで、租税を徴収するだけになった。

参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2017

アジア・アメリカの古代文明

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中国の古代文明

漢の興起

高祖(漢)は、秦の制度の多くを受け継いだが、秦が法律に基づいて厳しい政治をおこない、旧諸侯や民衆などの反発を招いて滅亡したことをふまえ、急激な中央集権化をさけて国内をまとめた。また租税・力役を軽減して民衆の生活の安定に努めた。都の長安を中心とする地域は直轄地として郡県制を行い、官吏を派遣して支配したが、東方などの遠隔地には劉氏一族や功臣を諸侯として領土を与える封建制を採用した。これが郡県制と封建制を併用した郡国制である。しかしながら、劉邦と続く呂后りょこう(高祖の皇后)の時代に功臣出身の異姓の諸侯はしだいに滅ぼされていき、諸侯は同姓(劉氏)のものに限られるようになった。

漢(王朝)では劉氏一族の諸侯の勢力がしだいに強まり、中央政府に反抗的になった。そこで中央政府は諸侯を抑制する政策を推し進め、第6代の景帝(漢)のとき、諸侯の領土の削減をはかった。その結果、ついに紀元前154年、呉王を中心とする劉氏一族の7人の諸侯が反乱をおこした(呉楚七国の乱ごそしちこくのらん)。反乱はわずか3ヶ月で鎮圧され、そののち諸侯は都に移され諸国には中央から官吏を任命するなどして諸侯の権力は弱められることになり、次の武帝(漢)の時代には、郡国制とはいうものの実質は郡県制と変わらない中央集権体制が確立した。

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