大仙陵古墳(仁徳天皇陵) 5世紀前半頃
日本列島で最大の規模をもつ古墳。実際の被葬者は不明であるが宮内庁により「百舌鳥耳原中陵」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。築造に延べ約680万人の人員と、約16年の歳月が必要であったと計算されている。長持形石棺を納めた竪穴式石室が発見され、金銅製の眉庇付冑と短甲、ガラス器、鉄刀などが出土したと伝えられている。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
古墳の造営
大仙陵古墳(現仁徳天皇陵)
日本列島で最大の規模をもつ古墳。墳丘の長さが486mの前方後円墳で、墳丘の周りに二〜三重の周濠をめぐらしている。
さらにその外側の陪塚(陪冢)が営まれている区画をも含めると、その墓域は80haにも及び、その築造には、最盛時で1日あたり2000人が動員されたとして、延べ約680万人の人員と、約16年の歳月が必要であったと計算されている。
明治初年に前方部前面の中腹から長持形石棺を納めた竪穴式石室が発見され、金銅製の眉庇付冑と短甲、ガラス器、鉄刀などが出土したと伝えられている。
また、後円部の墳頂部にも長持形石棺を納めた竪穴式石室があったらしい。墳丘や外堤に立て並べられた円筒埴輪の形式などから5世紀前半頃の古墳と考えられており、5世紀初頭と想定される仁徳天皇とは時代がやや食い違う。その被葬者が大王であることは疑いないが、それが誰であるかは不明である。