帝国自由都市
1572年 レーゲンスブルク ©Public Domain

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帝国自由都市
帝国都市: 王領地の多い南ドイツを中心に成立した皇帝・国王に直属する都市のことで、諸侯と同格ながら、基本的に皇帝への貢納・軍役の義務を負った。
自由都市: かつての司教都市から成長したバーゼル・シュトラスブルク・シュパイアー・ヴォルムス・マインツ・ケルン・レーゲンスブルクの7都市をさし、帝国都市が皇帝への義務を負ったのに対し、保護完全な自治権をもった。
帝国自由都市: 両者の区別はあいまいになり帝国自由都市として一括された。

帝国自由都市

帝国自由都市
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

概要

  • 帝国都市とは、王領地の多い南ドイツを中心に成立した皇帝・国王に直属する都市のことで、諸侯と同格ながら、基本的に皇帝への貢納・軍役の義務を負った。
  • 自由都市とは、かつての司教都市から成長したバーゼル・シュトラスブルク・シュパイアー・ヴォルムス・マインツ・ケルン・レーゲンスブルクの7都市をさし、帝国都市が皇帝への義務を負ったのに対し、保護完全な自治権をもった。

しかし、その後両者の区別はあいまいになり、しばしば、自由帝国都市として一括された。

これらの都市は、自立はしたものの、人口・規模などの点で皇帝や諸侯に劣る場合が多く、その軍事的圧力に対抗し、あるいは共同の利益の確保のために、都市同盟を結成した。
北イタリアのロンバルディア諸都市では、ドイツ皇帝のイタリア南下政策に対抗し、12世紀から13世紀にかけて、2度にわたるロンバルディア同盟を結んだ。だが、その規模と期間の長さにおいて、ロンバルディア同盟をはるかにしのぐのが、13世紀から17世紀まで存続した北ドイツのハンザ同盟である。最盛期は14世紀で、リューベックを盟主にハンブルク・ブレーメン・リューネブルク・ケルン・ダンツィヒなど加盟市は100を超え、北欧からロシア・イギリス・ネーデルラントなど、地中海沿岸をのぞく全ヨーロッパで商業活動を展開した。ノヴゴロド・ベルゲン・ブリューシュ・ロンドンなどの貿易拠点には在外商館をもうけ、商圏確保のためには時には戦争をすることもあった(1370年、デンマーク海軍撃破)。しかし、15〜16世紀以降の集権国家の成長と、イギリス・オランダ商人の登場により打撃を受け、最終的には17世紀の三十年戦争により消滅した。

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リンダウ

13世紀、リンダウはルドルフ1世(神聖ローマ皇帝)によって、帝国自由都市の地位を認められた。中世より、ボーデン湖を舞台とした物流の拠点として栄えた。17世紀、三十年戦争でスウェーデン軍が街に迫るが、略奪は免れた。19世紀初頭よりバイエルンの支配下に入った。

ハンブルク

ハンブルクは、1189年にはフリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)から、第3回十字軍への貢献の報償として、商業上の特権をみとめる船舶航行の特許状をうける。
また、関税特権、経済特権を獲得したことで交易都市としての発展が進み、1241年にリューベックと、1249年にブレーメンと防衛同盟をむすんだ。同年、シャウエンブルク伯爵より完全な自治を許され、貨幣製造権も与えられる。このことがやがてハンザ同盟の成立へとつながっていく。
たかだか同盟のビール生産地にすぎなかったハンブルクは、リューベックが衰えるのと反対に繁栄し富裕な有力都市のひとつとなった。
1410年、1510年、1618年と三度神聖ローマ皇帝から自由都市の特権を与えられ、自治権を獲得維持した。

詳説世界史研究 より

帝国自由都市リスト

Wikipediaより

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