後漢書東夷伝
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漢書東夷伝ごかんしょとういでん 

後漢書』は范曄はんよう(398〜445)が書いた後漢の歴史書。10本紀30志80列伝の計120巻から成る。「東夷伝」に倭奴国王が光武帝から印綬を受領したとの記事がある。

後漢書東夷伝

『後漢書』は范曄はんよう(398〜445)が書いた後漢の歴史書。10本紀30志80列伝の計120巻から成る。「東夷伝」に倭奴国王が光武帝から印綬を受領したとの記事がある。

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建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
建武中元二年(57)、倭の奴国が貢を奉り朝賀した。使者は自ら大夫と称した。倭国の最南端にある。光武帝は印綬(「印綬」の「綬」とは、(組み紐)のことである)を賜った。
安帝永初元年(107)、倭国王の帥升等が百六十人の捕虜を献じ、参内し天子にお目にかかることを願い出た。
桓靈間倭國大亂 更相攻伐歴年無主 有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆 於是共立為王 侍婢千人少有見者 唯有男子一人給飲食傳辭語 居處宮室樓觀城柵皆持兵守衛 法俗厳峻
桓帝と霊帝の間(2世紀後半)に倭国は大いに乱れ、互いに攻撃しあって年月をすごし、主導する者がいなかった。一女子がいて、名は卑弥呼という。高齢だったが、独身で、鬼神道につかえ人々を惑わし操った。各国は共同して卑弥呼を立て王と為した。侍女千人が付き従っている。面会した者はほとんどいないが、ただ男子一人が飲食物を給仕し、言葉を伝える。住まいや宮殿、高層の神を祭る場所は城柵で囲い、みな兵器を持って守っている。法習慣は非常に厳しい。

「後漢書倭伝」(原文、和訳と解説)より

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