徳川家治
徳川家治像(狩野派筆/徳川記念財団蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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徳川家治 とくがわいえはる( A.D.1737〜A.D.1786)

江戸幕府10代将軍(在職 1760~86)。家重の長男。母は梅渓通条の娘。幼名は竹千代。院号は浚明院。宝暦10(1760)年9月2日将軍宣下。田沼意次が重用され、いわゆる「田沼時代」が出現。2男2女が早世して世子がなく、一橋家から家斉を養子とした。死後、田沼意次罷免後の天明6(1786)年9月8日に喪を発した。

徳川家治

江戸幕府第10代征夷大将軍
(在位1760〜1786)
  • 1767 明和事件(山県大弐を死罪)
  • 1772 南鐐弐朱銀の鋳造、各種株仲間を公認
  • 1782 印旛沼・手賀沼の干拓着工、天明の飢饉(〜87)
  • 1785 最上徳内ら千島探索

主な幕僚:側用人兼老中田沼意次、若年寄田沼意知

徳川氏系図
徳川氏系図 ©世界の歴史まっぷ

江戸幕府10代将軍(在職 1760~86)。家重の長男。母は梅渓通条の娘。幼名は竹千代。院号は浚明院。宝暦10(1760)年9月2日将軍宣下。田沼意次が重用され、いわゆる「田沼時代」が出現。2男2女が早世して世子がなく、一橋家から家斉を養子とした。死後、田沼意次罷免後の天明6(1786)年9月8日に喪を発した。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

幕藩体制の動揺

幕政の改革

田沼時代

田沼の政治

特色財政再建、商業資本の積極的な利用 → 賄賂の横行
政策商業株仲間の積極的な公認(運上・冥加の増徴)
幕府の専売拡張(銅・鉄・真鍮・朝鮮人参座など設置)
定量の計数銀貨鋳造(南鐐弐朱銀・明和5匁銀)
新田開発印旛沼・手賀沼の干拓(1782〜86)→ 利根川の大氾濫で挫折
蝦夷地開発工藤平助『赤蝦夷風説考』の意見採用 → 最上徳内らの蝦夷地派遣(1786)
貿易長崎貿易の制限緩和(俵物・銅の輸出)
結果民間の学問・文化・芸術の発展
賄賂政治への批判の強まり
天明の飢饉・浅間山の大噴火
一揆・打ちこわしの頻発
10代将軍家治の死去
田沼意知の暗殺(1784)
田沼意次の罷免(1786)
参考:山川 詳説日本史図録

将軍吉宗のあと、9代徳川家重(1711〜61)・10代徳川家治(1737〜86)の時代になると、側用人を兼ね老中となった田沼意次(1720〜88)が幕政の実権を握り、きわめて強い権勢をふるった。この時代を田沼時代と呼んでいる。

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