慶安の変
慶安の変を題材とする歌舞伎の演目『樟紀流花見幕張』右より 二代目澤村訥升の金井谷五郎、四代目中村芝翫の宇治常悦、初代市川左團次の丸橋忠弥(豊原国周画/ボストン美術館蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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慶安の変 けいあんのへん 1651(慶安4)年、家綱の将軍宣下が行われる少し前の7月23日に、兵学者由井(比)正雪が槍の名人丸橋忠弥ら、3代将軍家光までの武断政治によって、大名を処分したために生じた多数の牢人の集団を率いた、幕府転覆の陰謀が発覚した。幕府はこの事件を天下謀叛として、自殺した正雪の首を安倍川河原にさらし、丸橋忠弥ら多数の牢人を処刑したのち、牢人の発生を防ぐため、御家断絶の原因になっていた末期養子の禁止を緩和した。

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