方広寺
方広寺の鐘銘 Wikipedia

方広寺鐘銘事件

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方広寺鐘銘事件 こうほうじしょうめいじけん 1614(慶長19) 豊臣秀吉が創建した方広寺本尊は1596(慶長元)年の地震で大仏殿は倒壊し、秀頼は1612(慶長17)年に本堂再建。1614(慶長19)年3月、梵鐘が完成したが、この巨鐘の銘に「国家安康」「君臣豊楽、子孫殷昌」の部分があり、これを「家康の名を二分して国安らかに、豊臣を君として子孫殷昌を楽しむ」の意味であると家康は豊臣氏を責めた。その責任を、豊臣氏の国替えか、淀君の江戸人質か、二者択ーで迫り、大坂方を開戦(大坂冬の陣)に踏み切らせた。

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