日比谷焼打ち事件
日比谷焼打ち事件(画像出典:MIT Visualizing Cultures)公園の入口を閉鎖されしため巡査と群衆との間に大騒動起こりし時の光景なり。

日比谷焼打ち事件


日比谷焼打ち事件 A.D.1905〜

1905年9月ポーツマス条約を屈辱的とし東京の日比谷公園で講和反対国民大会が開かれ暴動化、警察署・内相官邸や政府系新聞社など襲撃。政府は戒厳令を発し軍隊を出動。約1ヶ月間全国各地に波及。都市民衆運動の起点。大正デモクラシーに及ぶ。

日比谷焼打ち事件

1905年9月5日、ポーツマス条約を屈辱的とし、東京の日比谷公園で講和反対国民大会が開かれ、条約破棄を叫んで暴動化。警察署・内相官邸や政府系の国民新聞社などを襲った。政府は東京市と周辺部に戒厳令をしいて軍隊を出動、約1ヶ月間、全国各地に波及した。死者17人、検束者2000人。都市民衆運動の起点となり、大正デモクラシーに及んだ。

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近代国家の成立

日露戦争と国際関係

日露戦争

こうして日本は約110万人の兵力を動員し、死傷者20万人を超すという大きな損害を出しながら、ようやく日露戦争に勝利を収めた。しかし、増税に耐えて戦争を支えてきた多くの国民は、日本の戦争継続能力について真相を知らされないままに、賠償金が得られないなど、ポ一ツマス条約の内容が期待以下だったので、激しい不満を抱いた。東京では河野広中こうのひろなから反政府系政治家や有力新聞 の呼びかけもあって、講和条約調印の当日、「屈辱的講和反対・戦争継続」を叫ぶ群衆が、政府高官邸・警察署・交番や講和を支持した政府系新聞社・キリスト教会などを襲繋したり、放火したりした。いわゆる日比谷焼打ち事件である。政府は戒厳令を発し、軍隊を出動させてこの暴動を鎖圧し、講和条約批准にもち込んだが、その後、こうした都市の民衆暴動がしばしばおこり、社会を動揺させた。

『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』『万朝報』などの有力新聞は、日露講和条約の条件が明らかになると、いっせいにその条件が日本にとって不十分であるとし、「屈辱的講和条約反対」「戦争継続」を主張するキャンペーンを展開し、なかには桂首相・小村外相らを「露探」(ロシアのスパイ)と非難する記事を載せた新聞もあったほどである。
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