閻立本 昭帝(漢)
前漢の昭帝 (閻立本/画) ©Public Domain

昭帝(漢)


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昭帝(漢) (紀元前94年〜紀元前74年)
 
前漢の第8代皇帝。姓・諱:劉弗陵。在位:紀元前87年3月30日〜紀元前74年6月5日。
武帝(漢)の末子。武帝の崩御により8歳で即位した。皇太子に立てられたときに母の趙婕妤は呂雉のような外戚の専横を未然に防ぐ目的で、武帝の命により殺害された。
昭帝の代の政治の特色としては、武帝以来の専売制を弱め、国力の回復に専念した。

昭帝(漢)

生涯

武帝の末子として生まれる。征和2年(前91年)の巫蠱の乱で長兄の戻太子劉拠及びその一族が誅滅されると、武帝は新たな後継者を指名する必要に迫られた。しかし各地に冊封された武帝の皇子達(昭帝の異母兄)は早世または言動に問題があるなど適任者がなく、幼少の末子である劉弗陵が皇太子に立てられた。その際、母の趙婕妤は呂雉のような外戚の専横を未然に防ぐ目的で、武帝の命により殺害されている。

後元2年(前87年)、武帝の崩御により僅か8歳で即位した。政務は武帝が生前に昭帝の後見を依頼していた大司馬大将軍の霍光かくこう、左将軍の上官桀じょうかんけつ、車騎将軍の金日磾きんじつていにより政務が輔弼され、間もなく金日磾が死去すると霍光と上官桀の両者による後見が行われた。
当初は良好な関係にあった両者であるが、徐々に霍光に権力が集中し、一方で上官桀の孫娘が昭帝の皇后として入内すると、関係は悪化し、霍光に不満を持つ武帝以来の旧臣で御史大夫の桑弘羊そうこうようと昭帝の即位に不満を抱く燕王劉旦りゅうたん(昭帝の異母兄)が上官桀派になったことで朝廷は不安定なものとなった。

上官桀派は、昭帝を廃立し燕王を皇帝に擁立しようとするも失敗、元鳳元年(前80年)までに処刑、もしくは自殺に追い込まれ、以降は霍光が輔政の任にあたり、その子弟がこれを補佐するという体制が宣帝(漢)の代の初期まで続くこととなる。

昭帝の代の政治の特色としては、武帝以来の専売制を弱め、国力の回復に専念したことにある。霍光の意向を受け専売制の廃止を訴える儒者と専売制の続行を進めようとする桑弘羊との論争をまとめたものとして、『塩鉄論』があるが、これは昭帝の代に行なわれた両者の論争を元にまとめられたものである。

元平元年(前74年)に数え21歳で急病に倒れ、1ヶ月ほど病床についた後崩御した。

Wikipediaより

前漢の皇帝一覧

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前漢の歴代皇帝一覧

廟号姓諱在位備考
1高祖(漢)劉邦劉太公劉媼紀元前202年紀元前195年
2恵帝(漢)劉盈高祖(漢)高后(呂雉)紀元前195年紀元前188年
3少帝恭劉恭恵帝(漢)後宮(不明)紀元前188年紀元前184年恵帝崩御後、嗣子がいなかったため、呂太后(呂雉)の支持を得て即位。生母は(呂雉)が殺害。
4少帝弘劉弘恵帝(漢)後宮紀元前184年紀元前180年少帝恭の弟。恵帝の実子ではないといわれるが真相は不明。
5文帝(漢)劉恒高祖(漢)薄氏紀元前180年紀元前157年紀元前180年に呂雉が崩御すると呂氏一族は周勃、陳平ら建国の元勲、および高祖の孫である斉王劉襄、朱虚侯劉章による政変で誅滅され、劉恒が新皇帝として擁立された。
6景帝(漢)劉啓文帝(漢)孝文皇后紀元前157年紀元前141年中央集権体制に反発した諸侯王らによる呉楚七国の乱
7武帝(漢)劉徹景帝(漢)王氏紀元前141年紀元前87年
8昭帝(漢)劉弗陵武帝(漢)趙婕妤紀元前87年紀元前74年
9昌邑王賀劉賀劉髆不明紀元前74年紀元前74年在位わずかに27日であったため、通例としては歴代皇帝の序列から外される。
10宣帝(漢)劉詢劉進王氏紀元前74年紀元前49年民間に育つが霍光に擁立され即位。後世、後漢光武帝により前漢中興の祖とされ中宗の廟号を贈られる。法家主義。
11元帝(漢)劉奭宣帝(漢)許皇后紀元前49年紀元前33年儒教重視。宦官による専断。
12成帝(漢)劉驁元帝(漢)孝元皇后(王政君)紀元前33年紀元前7年宣帝以来の宦官勢力弱体化に成功したが、外戚勢力、生母・孝元皇太后(王政君)の実家・王一族が深く朝政に関与し、後の王莽による簒奪の要因となる。
13哀帝(漢)劉欣劉康(成帝の異母弟)丁姫紀元前7年紀元前1年祖母の傅氏と生母の丁氏が孝成皇后に賄賂を贈り、18歳の時に伯父・成帝の皇太子となり、成帝が崩御すると孝成皇太后の後楯で1即位する。
14平帝(漢)劉衎劉興衛姫紀元前1年5年従兄の哀帝の崩御にともない、皇帝の璽綬を董賢から奪った王莽らによって9歳で皇帝に即位する。即位当初から王莽ら王一族が権力を握る。
15孺子嬰劉嬰劉顕不明5年8年摂皇帝王莽の傀儡として皇太子の位にとどめられ、帝位には即かなかったが、一般に「前漢最後の皇帝」として歴代に名を連ねる。
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