本居宣長
本居宣長 ©Public Domain

本居宣長


本居宣長 もとおりのりなが( A.D.1730〜A.D.1819)

国学者。伊勢松坂の医者。真淵に学び、自宅鈴屋で国学を教え、『源氏物語』を研究して「もののあわれ」を主張し、『古事記』の精密な研究により古道を説き、外来思想を排除して日本古来の精神に返ることを主張。尊王論を唱えたが、将軍の政治にしたがうことが天皇を尊ぶことになると説き、幕府政治を否定する考えはなかった。

本居宣長

国学者。伊勢松坂の医者。真淵に学び、自宅鈴屋で国学を教え、古典研究を進めて復古神道を主張した。『源氏物語』の注釈書『源氏物語玉の小櫛』では、『源氏物語』を道徳面から批判する意見に反対し、独自のもののあわれ論で評価。

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「もののあわれ」を説いた国学者

国学者。伊勢国飯高いいだか郡に木綿商の子として生まれる。幼時より読書を好み、医師を目指して上京。朱子学、儒学、国学を堀景山ほうけいざんに学び、医学も修めた。医師業とともに国学の研究と門人の教育に従事し、また約35年を費やして質量ともに国学の頂点をなす『事記伝』を執筆した。
本居宣長
本居宣長 ©Public Domain

「鈴屋」という屋号をつけるほど鈴が好きだった。

参考 ビジュアル版 日本史1000人 下巻の終結まで

本居宣長は、市井の国学者。誰にも読めなかった古事記の解読に成功。ジェームズ・ワットが蒸気機関を完成させる前年に注釈書『古事記伝』を寄稿、35年をかけて全44巻を執筆した。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

幕藩体制の動揺

化政文化

国学の発達

化政文化 国学

荷田春満
(1669-1736)
古典・国史を研究。国学の学校建設を将軍吉宗に建言。『創学校啓』
賀茂真淵
(1697-1769)
『万葉集』『古事記』を研究し、古道を説く。
『国意考』(儒仏の影響をうけない純粋な日本固有の道で、復古思想を主張)
『万葉考』(『万葉集』の注釈書)
本居宣長
(1730-1801)
「もののあわれ」を提唱。国学の基礎を固める。
『古事記伝』(日本古来の「真心」の精神に返ることを主張)
『玉勝間』(宣長の随想集)』
塙保己一
(1746-1821)
和漢の学に通じ、和学講談所を創立。
『群書類従』(古代から江戸初期までの国書の叢書)
平田篤胤
(1776-1843)
復古神道を説く。農村有力者にも信奉され、尊王攘夷論に影響。
『古史成文』『古史徴』『古史伝』
参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

元禄期に始まった『万葉集』などの古典研究は、18世紀後半になると、『古事記』や『日本書紀』などの歴史書の研究へと進み、それらの古典のなかに日本古来の精神、古道を明らかにしようとする国学に発展した。契沖けいちゅうに学んだ荷田春満かだのあずままろ(1669-1736)は、『創学校啓』を書いて国学の学校建設を説き、その門人賀茂真淵かものまぶち(1697-1769)は、儒教・仏教などの外来思想の影響を受けない日本古代の思想、古道を追究し、『国意考』『万葉考』を著した。この国学を学問的・思想的に大成したのが伊勢松坂の本居宣長もとおりのりなが(1730-1801)である。宣長は『源氏物語』を研究して「もののあわれ」を主張し、『古事記』の精密な研究により古道を説き、外来思想を排除して日本古来の精神に返ることを主張した。宣長の影響を受けた平田篤胤ひらたあつたね(1776-1843)は激しく儒教・仏教を排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ復古神道を大成し、農村の有力者に広く受け入れられて、幕末尊王攘夷運動に影響を与えた。

政治・社会思想の発達

古典の研究、復古思想の立場から尊王論を唱えた国学者の本居宣長は、将軍は天皇の委任(「御任みよさし」)により政権を担当しているのだから、将軍の政治にしたがうことが天皇を尊ぶことになると説き、幕府政治を否定する考えはなかった。しかし、平田篤胤ひらたあつたね復古神道は、各地の豪農・神職たちに受け入れられ、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。

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同時代の人物

ジェームズ・ワット(1736〜1819)

蒸気機関に改良を加えて実用性を高め、産業革命を大きく推進させた。

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