林子平 はやししへい( A.D.1738〜A.D.1793)
江戸時代中期の経世家。寛政三奇人の一人。江戸、長崎に遊学しオランダ商館や蘭学者の間に出入りして海外情勢に関する認識を深める。『三国通覧図説』『海国兵談』などで外国による日本侵攻の危険を指摘し、軍備の充実や海岸防備の強化を主張したが、幕府は「奇怪異説」を説いて人心を惑わすとして版木を没収し、禁錮刑を科して弾圧した(寛政の改革)。
林子平
江戸時代中期の経世家。寛政三奇人の一人。名は友直(ともちか)。儒者で幕臣だった岡村良通の二男。伊達家家臣の長兄のもとで同藩の工藤平助らと交際、のち江戸、長崎に遊学しオランダ商館や蘭学者の間に出入りして海外情勢に関する認識を深め、天明5(1785)年『三国通覧図説』を出版し、蝦夷地の経略を急いでロシアの南下政策に対処すべきであると海防論を力説した。寛政3(1791)年『海国兵談』全巻刊行を終え、同様の論旨で江戸幕府の鎖国無為政策を批判。このため幕府の処罰を受け(→寛政の改革)、みずから六無斎と称し、まもなく病没。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
著作が幕府から発禁処分にされた思想家
江戸時代後期の経世思想家。父は幕臣だったが町医者の叔父に養育される。藩士になってからも無禄厄介という不遇の時期を過ごしたが、その際に全国を見聞して歩き蘭学者等と交わり新知識を学んだ。ロシアに注目して『三国通覧図説』『海国兵談』等を著し世論喚起を図った。
幕藩体制の動揺
幕政の改革
寛政の改革
民間に対しては、絵双紙類で風俗に悪影響を与えるもの、世上の噂を写本にして貸すことの禁止などを盛り込んだ出版統制令が出され、幕府政治への諷刺や批判を取り締まり、風俗の刷新がはかられた。旺盛な創作活動をしていた洒落本作者の山東京伝(1761〜1816)や、黄表紙作者の恋川春町(1744〜89)、出版元の蔦屋重三郎(1750〜97)らが弾圧された。さらに、林子平(1738〜93)が『三国通覧図説』『海国兵談』などで外国による日本侵攻の危険を指摘し、軍備の充実や海岸防備の強化を主張したが、幕府は「奇怪異説」を説いて人心を惑わすとして版木を没収し、子平に禁錮刑を科して弾圧した。