桂庵玄樹
桂庵玄樹(鹿児島県立図書館所蔵)©Public Domain

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桂庵玄樹 けいあんげんじゅ( A.D.1427〜A.D.1508)

五山禅僧であった桂庵玄樹は、明(王朝)から帰国したのち、肥後の菊池氏や薩摩の島津氏に招かれて儒学の講義を行い、また薩摩において朱子の『大学章句』を刊行するなどの活躍をし、のちの薩南学派の基を開いた。

桂庵玄樹

朱子学の啓蒙普及に貢献した禅僧

室町時代後期の臨済宗の僧。周防すおう山口の出身。南禅寺の惟肖得巌いしょうとくがんに師事。明(王朝)に渡り、宋学を学ぶ。帰国後、島津氏の招きで薩摩へ下向、朱子学を講じた。わが国初の朱子新注本を出版するなど朱子学啓蒙に努め、のちに薩南学派と呼ばれる近世朱子学の源流となった。

ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで

武家社会の成長

室町文化

文化の地方普及
儒学

儒学は、新興の大名たちにも必要な学問とされて積極的に受け入れられ、その政治思想にも影響を与えた。五山禅僧であった桂庵玄樹は、明(王朝)から帰国したのち、肥後の菊池氏や薩摩の島津氏に招かれて儒学の講義を行い、また薩摩において朱子の『大学章句』を刊行するなどの活躍をし、のちの薩南学派の基を開いた。万里集九ばんりしゅうく(1428~?)のように中部・関東地方などの各地をめぐり、地方の人々と交流して優れた漢詩文を残した禅僧も多くいた。

桂庵玄樹とならぶ朱子学者として知られる南村梅軒は、土佐の吉良きら氏のもとで朱子学を講じ、のちの谷時中たにじちゅうらにつながる南学の祖となったといわれているが、実在の人物であったかどうか、最近、強い疑念がもたれている。ただ。梅軒の問題は別にして、五山文学の双璧とされる義堂周信ぎどうしゅうしん絶海中津ぜっかいちゅうしんも土佐の出身であることからみて、土佐が学問・文芸の盛んな土地であったことは確かだろう。
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