湯島聖堂 ゆしませいどう
東京都文京区湯島にある孔子廟。聖堂は3度の江戸の大火、関東大震災、第2次世界大戦時の空襲によって焼失・改修を繰り返して現在にいたる。もともとは1632(寛永9)年に将軍家康の側近で儒者の林羅山が上野忍岡(現上野公園)に建てた孔子廟「先聖殿」を、1690(元禄3)年に将軍綱吉が現在地に移し、先聖殿を大成殿と改称、大成殿及び附属の建物を総称して聖堂と称した。
湯島聖堂
幕藩体制の展開
幕政の安定
元禄時代
1683(天和3)年に、綱吉の代がわりの武家諸法度が発布された。1615(元和元)年の将軍秀忠による最初の発布以来、代々の将軍は第l条で「文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事」と命じてきた。綱吉はこれを改めて、「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」とした。武士に最も要求されたのは、武道を意味する「弓馬の道」から「忠孝」や「礼儀」へとかわったのである。主君に対する忠、父祖に対する孝、そして礼儀による上下の秩序が、平和な時代の支配の論理になった。この支配思想は儒教に裏づけられたもので、綱吉が湯島聖堂を建て、林信篤(鳳岡 1644〜1732)を大学頭に任じたのも儒教重視を物語っている。
1922年(大正11年)3月8日、敷地が国の史跡に指定された。