徽州商人 王直
王直像 王直は徽州商人から倭寇の頭目になった。 ©Public Domain

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王直 おうちょく (生年不詳〜1560)

中国の明代、後期倭寇の頭目。はじめ塩商であったが、事業に失敗し、1540年に仲間とともに日本や南海方面を相手に密貿易をおこない巨額な富をきずいた。1543年に種子島にポルトガル人を乗せた中国船が漂着し、日本に鉄砲を伝えたとき日本側と筆談をしたのが王直であったという。しかし彼が根拠地としていた舟山列島が、倭寇の取り締まりで攻撃をうけると、部下を率いて江蘇・浙江地域の沿岸部を襲い、後期倭寇の中心的な人物となったが、彼の死後、倭寇の勢力はしだいに衰えていった。

王直

アジア諸地域の繁栄

東アジア・東南アジア世界の動向

明後期の社会と文化

王直

安徽省徽州県出身の王直は、はじめ塩商であったが、事業に失敗すると、1540年に仲間とともに日本や南海方面を相手に密貿易をおこない巨額な富をきずいた。1543年に種子島にポルトガル人を乗せた中国船が漂着し、日本に鉄砲を伝えたが、そのとき日本側と筆談をしたのが王直であったという。しかし彼が根拠地としていた舟山しゅうざん列島が、倭寇の取り締まりで攻撃をうけると、部下を率いて江蘇こうそ浙江せっこう地域の沿岸部を襲い、後期倭寇の中心的な人物となったが、彼の死後、倭寇の勢力はしだいに衰えていった。

徽州商人
王直像 王直は徽州商人から倭寇の頭目になった。 ©Public Domain

武家社会の成長

幕府の衰退と庶民の台頭

東アジアとの交易

勘合貿易の中断後、再び倭寇の活動が盛んになつた。16世紀に展開されたこの倭寇は後期倭寇と呼ばれ、主として東シナ海、南洋方面にみられた。ただし、本当の日本人は3割ほどで、中国人やポルトガル人が多かった。彼らは日本の銀と中国の生糸の交易を行いながら、海賊として行動した。中でも有名な頭目とうもくは、平戸・五島地方に居を構えて数百隻の船団を指揮した王直おうちょくという明人である。彼は王を自称し、大名たちとも交渉をもった。1559(永禄2)年、王直が明に捕殺されることには後期倭寇は衰えをみせはじめ、1588(天正16)年、豊臣秀吉が海賊取締令を発するに及んで、あとを断つことになった。

幕藩体制の確立

織豊政権

南蛮貿易とキリスト教

1543(天文12)年にポルトガル人を乗せた中国船が九州南方の種子島に漂着した(1542(天文11)年とする説もある)。この船は、密貿易商人で倭寇の頭目でもあった中国人王直おうちょく(?〜1559)のもち船で、その船がこの海域を航行していたのは、九州の五島・平戸が当時王直の活動拠点となっていたためである。ポルトガル人はこのような密貿易商人・倭寇の船に同乗し、漂着したのであるが、これがヨーロッパ人が日本に来た最初となった。このとき、島主の種子島時尭たねがしまときたか(1528〜79)はポルトガル人のもっていた鉄砲(火縄銃)を求め、家臣にその使用法と製造法を学ばせた。これを契機に、ポルトガル人は毎年のように九州の諸港に来航し、日本との貿易を行った。またスペイン人も、おくれて184(天正12)年、肥前の平戸に来航し、日本との貿易を開始した。

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