球戯場の誓い (テニスコートの誓い)(A.D.1789) 1789年5月5日始った全国三部会は、議決方法をめぐって貴族、聖職者、第三身分の3身分間に紛争が起り、第三身分の代議員たちはみずからを国民の代表として身分制議会を否定し、みずからの会を「国民議会」と宣言。6月20日議場が閉鎖されていたので、ヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法を制定するまで解散しないことを宣誓した。貴族、聖職者の一部も参加して、7月9日国民議会は「憲法制定国民議会」と改称。
球戯場の誓い
参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 プラス世界各国要覧 2018
欧米における近代社会の成長
フランス革命とナポレオン
革命の勃発
第三身分は、議員の身分別資格審査を拒否し、身分別の投票でなく、個人別投票を要求、身分別のいかなる審議も拒否して特権身分と対立した。妥協策を探して1ヶ月をへたのち、1789年6月17日、一部聖職者議員を加えて集まった第三身分議員は、彼らのみが国民を代表しているとし、みずからの会を「国民議会」 Asemblee Narionaleと宣言した。6月20日、第三身分議員は、議場が閉鎖されていたので、宮殿の球戯場に集まり、憲法を制定するまで解散しないことを、1人をのぞき満場一致で宣誓した(球戯場〈テニスコート〉の誓い)。国王は聖職者と貴族に第三身分と合流することを勧告し、国民議会を承認した(6月27日)。国民議会は正式に憲法制定国民議会と改称し、憲法制定に着手した(7月9日)。国民議会の成立は革命的ではあったが、最終的には王の承認をえて、法に従って達成されたものであった。参考