隋唐審議 羅士信(羅成)
羅成「隋唐演義」©浙江永楽影視制作有限公司

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羅士信(羅成) (600年〜622年4月11日)

羅成らせい羅士信らししん)は、北平王・羅芸らげいの子で、槍術にすぐれ才気煥発な美青年。冤罪で逮捕された秦瓊しんけいを救うために智恵をしぼり、その後二人は従兄弟同士だったことが判明、絆をいっそう深めた。秦瓊について瓦崗寨に入り、朝廷側の父とは対立する立場に。単盈盈とは相思相愛の仲だが、北平王府が攻められて両親をはじめ一族を殺されたショックに別の誤解も重なって疎遠になる。隋朝を倒した後、単盈盈と再会を果たすが……。(隋唐演義)

羅士信(羅成)

羅士信らししんは、中国の唐(王朝)軍人。本貫は斉州歴城(現山東省済南市)。『説唐全伝』『隋唐演義』などの古典小説中では、羅成らせいとして登場する。

経歴

  • 613年、張須陀ちょうすだに従って王薄おうはく・孫宣雅らを討った。初陣のときには十四歳で、「鎧の身の丈も合っていないのに、どうして陣中に入るのか」と張須陀に言われたのに怒って、ふたつの鎧を重ね着して濰水の上で奮戦し、数人の敵を刺し、一人の首を空中に飛ばして敵をひるませたと伝えられる。
  • 614年、張須陀の下で左孝友・盧明月ろめいげつを討った。盧明月との戦いでは、秦叔宝しんしゅくほうとともに盧明月の本営を奇襲して功績を立てた。
  • 616年、張須陀が李密に敗れて死ぬと、裴仁基に従って李密の麾下に入り、総管に任じられた。
  • 618年、王世充を攻撃したとき、馬を躍らせて突進し、身に数矢を受けて捕らえられた。王世充に厚遇されたが、邴元真らと同等に扱われたことに不満を持ち、また所有の駿馬を王世充の甥の王道詢に奪われたことに憤って、619年に穀州に逃れて唐に帰順した。高祖李淵により陜州道行軍総管に任じられた。
  • 620年、慈澗を包囲し、王世充の太子の王玄応を刺して馬から突き落とした。硤石堡を陥落させ、千金堡を奪った。
  • 621年、王世充が平定されると、絳州総管となり、剡国公に封ぜられた。
  • 622年2月、王君廓に代わって洺州を守り、劉黒闥の襲撃を受けて敗れ、捕らえられたが屈服しなかったため殺された。

羅士信の享年については、『旧唐書』が年二十とし、『高祖実録』および『新唐書』が年二十八とする。張須陀が王薄を討ったときの羅士信の年齢が十四とされるため、『資治通鑑』は享年二十とする見解を取っている。しかし、享年二十説を取った場合も、羅士信が年十四だったときが616年となってしまうのは、『資治通鑑考異』の認めるところである。

Wikipediaより

羅士信(羅成)が登場する作品

隋唐演義

隋唐審議 羅士信
羅成「隋唐演義」©浙江永楽影視制作有限公司

羅成らせい羅士信らししん)は、北平王・羅芸らげいの子で、槍術にすぐれ才気煥発な美青年。冤罪で逮捕された秦瓊しんけいを救うために智恵をしぼり、その後二人は従兄弟同士だったことが判明、絆をいっそう深めた。秦瓊について瓦崗寨に入り、朝廷側の父とは対立する立場に。単盈盈とは相思相愛の仲だが、北平王府が攻められて両親をはじめ一族を殺されたショックに別の誤解も重なって疎遠になる。隋朝を倒した後、単盈盈と再会を果たすが……。(隋唐演義)

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