義浄 人物の往来 大旅行家の行程地図
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義浄


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義浄 A.D.635〜A.D.713

義浄ぎじょうは、唐の僧。37歳でインドにわたり25年間滞在。仏典400余部を得て帰国し、翻訳にあたる。著書に『南海寄帰内法伝なんかいききないほうでん』『大唐西域求法高僧伝だいとうせいいきぐほうこうそうでん』がある。

義浄

唐代の僧侶。法顕ほっけん玄奘げんじょうの事績を慕って、海路インドへ。各地の仏跡を巡礼すること20余年。東南アジア島嶼部を経由して帰国したのち、仏典の翻訳と旅行記の執筆に励んだ。

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唐の文化

仏教

思想・宗教・文化の面で全盛をきわめたのは仏教である。隋代には、天台大師智顗ちぎが高度な教学を大成して、わが国の仏教にも大きな影響を与えた。唐代には、玄奘げんじょう義浄ぎじょうらはインドに赴き多数の経典をもち帰り、またインドや西域の僧侶も多数来朝した。
インド出身の金剛智こんごうち不空ふくうらにより密教が中国に伝えられ、急速に普及したことは、その一例である。

東南アジア諸島部の国々

シュリーヴィジャヤ王国

東南アジア海上の島々は、西暦紀元の始めより交易をつうじてインド文化の影響をうけ始め、やがて国家がたてられるにいたった。
それらのうちもっとも華々しい活躍をみせたのは、スマトラ島におこったシュリーヴィジャヤ王国である。
この王国は7世紀ころおこり、9世紀半ば以後にはジャワから移ったシャイレーンドラ系の王統のもとで栄えた。都はスマトラ島東部のパレンバン付近にあり、最盛時には海上交通の要路マラッカ海峡とスンダ海峡を押さえるとともに、マレー半島南部を領土に加えジャワを支配し、さらにカンボジア・チャンパーへも遠征軍を送った。
インドの諸王朝とも関係があり、インド文化の影響を強くうけた。

また大乗仏教が栄え、唐(王朝)僧義浄ぎじょうはインド旅行の往復ともにこの地に立ち寄った。彼が著した『南海寄帰内法伝』にはこの国の仏教の様子も記されている。唐・宋とも通行し、唐代には室利仏逝(しつりぶっせい)、宋代には三仏斉(さんぶつせい)として知られる。
この王国は11世紀に入ると南インドのチョーラ朝の海軍の来寇(1025)もあって力を弱め、その後に一時復興するが、しだいに衰退に向かった。

東西文物の交流

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仏僧の往来

インドに起こった仏教は、大きく大乗仏教と上座部仏教(小乗仏教)に分かれ、大乗仏教は中央アジアを経由して中国に伝わり、日本をはじめとする東アジア諸国に伝播した。また上座部仏教は、カイロを経由して東南アジア諸国に伝播した。大乗仏教はおおよそ紀元前3世紀には中央アジアに伝播し、後漢時代の1世紀に中国に伝わっとという。中国において仏教が急速に広まったのは3世紀のの頃からで、朝鮮半島には4世紀、日本には遅くとも6世紀には伝わった。また、東南アジア方面にも5、6世紀頃までには広まった。

こうした仏教の伝播は、多くの僧侶の往来によって成し遂げられたものである。西域から中国を訪れた高僧に、仏図澄ぶっとちょう(ブドチンガ、クチャの人 ?〜348)、鳩摩羅什くまらじゅう(クマーラジーヴァ、クチャの人 344〜413)がおり、布教や仏典の翻訳に活躍した。また代の中頃、海路によって中国にいたり、密教を大成した不空(北インドの人 705~774)などは特に名高い。中国からインドへ仏教の経典を求めて旅だった僧侶も多い。東晋法顕ほっけん(337〜422)は、陸路によってインドに赴き、海路により帰国し、帰国後『仏国記(法顕伝)』を記した。唐では、玄奘げんじょうが陸路によってインドへ行き、帰国後『大唐西域記』を口述し、義浄ぎじょうは海路によってインドに赴き、その著『南海寄帰内法伝』は名高い。

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