耶律阿保機(
A.D.872〜A.D.926)
耶律阿保機は、遼(契丹)初代皇帝(在位907〜926)。契丹の8部族を統合し、916年に遼を建国して帝位に就き、都を内モンゴルの臨潢府とした。924年、西方に遠征して、タングルート(党項)や吐谷渾などを征服して支配圏をオルドス地方にまで広げ、東方では926年、渤海を滅ぼした。
耶律阿保機
華北から広大な版図を形成
遼(王朝)の初代皇帝。契丹族出身で、諸部族を統合して皇帝を名乗り、渤海を滅ぼした。
四方に制服の手を伸ばしたキタイの雄
契丹(遼)の創始者。キタイ(契丹)の8部族の長となったのに続いて、同族に近い奚族を併合。916年にテングリ・ハン(天可汗・天皇王)を称して契丹国と名乗る。外モンゴルから東トルキスタンまでを制圧した後、東方に向かい、渤海を滅ぼした。
東アジア世界の形成と発展
東アジア諸地域の自立化
遼の成立
10世紀初め、耶律阿保機(太祖)が契丹の8部族を統合し、916年、遼(遼朝 916〜1125)を建国して帝位に就き、都を内モンゴルの臨潢府とした。さらに924年、西方に遠征して、タングルート(党項)や吐谷渾などを征服して支配圏をオルドス地方にまで広げ、東方では926年、唐代以来「海東の盛国」といわれた渤海を滅ぼした。
契丹族の固有の宗教は、シャーマニズムであったが、太祖耶律阿保機の建国以後、仏教が取り入れられて、各地に寺院(河北省の独楽寺や大同の下華厳寺など)や白塔が建立され、大蔵経も刊行された。
遼の言語はアルタイ語に属し、ウイグル文字や漢字の影響で建国のはじめに独自の契丹文字をつくった。
契丹文字(左)と西夏文字
契丹文字は、数個の文字を組み合わせて一語を形成する。西夏文字は、契丹文字と同じように、漢字を似せた文字をいくつか組み合わせて一語を形成する。
参考 詳説世界史研究
子女
参考 Wikipedia