胡亥 (紀元前230頃〜紀元前207)
胡亥は、秦二世皇帝(在位紀元前210〜紀元前207)。始皇帝の未子。始皇帝の死後、宦官趙高の策略で長子の太子扶蘇を自決させ、趙高らに擁立され即位する。始皇帝時代からの度重なる遠征や始皇帝陵などの大土木工事で疲弊していた民衆は、翌紀元前209年陳勝・呉広の乱がおこったことを契機に各地で反乱が勃発し、秦は統一後わずか15年にして滅亡した(紀元前206)。
胡亥
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秦の統一
始皇帝が採用した支配体制は、以後2000年におよぶ中国の中央集権体制の原型となったが、そのあまりに急激な改革や厳格な法治主義による統治は、旧6国の貴族や民衆の反感を招いた。とりわけ、度重なる遠征および長城の修復や壮大な宮殿(阿房宮)・陵墓(始皇帝陵(驪山陵)造営などの大土木工事に関わる負担は、民衆の生活を大変苦しめた。そのため、紀元前210年に東方巡幸途中で始皇帝が病死し、二世皇帝胡亥が即位すると、翌紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こり、これを契機に各地で反乱が勃発した。そのなかには、のちに漢の高祖となる劉邦やもとの楚の貴族出身の項羽も含まれていた。
こうして各地に起こった反乱の渦中で、秦は統一後わずか15年にして滅亡した(紀元前206)。
胡亥が登場する作品
始皇帝が急死してから胡亥が即位するまでの趙高、李斯らの動きから、農民がいかにして疲弊し反乱に向かったのかがよく描かれている。
項羽と劉邦 King’s War あらすじ 登場人物 – 世界の歴史まっぷ