薩英戦争
イギリス艦隊と薩摩砲台の戦闘(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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薩英戦争 さつえいせんそう A.D.1863〜

1862年の生麦事件の報復のため、イギリス艦隊が鹿児島沖に来航して交戦。双方ともかなりの被害を受け、講和が成立。薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和後に両者は接近した。

薩英戦争

生麦事件の報復のため、イギリス艦隊が鹿児島沖に来航して交戦。双方ともかなりの被害を受け、講和が成立。薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和後に両者は接近した。

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近代国家の成立

開国と幕末の動乱

開港とその影響

品川御殿山に建設中のイギリス公使館を高杉晋作(1839〜67)·久坂玄瑞くさかげんずい(1840〜64)らが襲って焼いたイギリス公使館焼打ち事件などがおこっている。生麦事件は、のちに薩英戦争の原因となった。

公武合体と尊攘運動

薩摩藩では、1863(文久3)年に、先の生麦事件の報復のため鹿児島湾に来航したイギリス艦隊と交戦して大きな被害を受け(薩英戦争)、攘夷の不可能なことがしだいに明らかとなった。

このころ、対日外交に指導的役割を果たしていたイギリスは、公使パ一クス( Parkes, 1828〜85 )がしだいに幕府の国内を統治する力が弱体化したことを見抜き、対日貿易の自由な発展のためにも、幕府にかわる政権の実現に期待するようになった。薩摩藩でも、薩英戦争で攘夷が不可能であることを知ってイギリスに近づき、西郷隆盛(1827〜77)・大久保利通(1830〜78)ら下級武士が藩政を指導し、武器の輸入・留学生の派遣・洋式エ場の建設など改革を進めていった。

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