藤原京 A.D.694〜A.D.710
奈良県橿原市にあった飛鳥時代の日本最初の都城。首都。
天武天皇が造営に着手し、没後、持統天皇が引き継いで694年に遷都した。持統天皇・文部天皇・元明天皇(平城京遷都まで)3代の都。
藤原京
律令国家の形成
672年の壬申の乱をへて、大海人皇子は、683年に飛鳥浄御原宮で即位した(天武天皇)。
それまで「大王」とされていた君主号にかわるものとして、「天皇」号が制定されたのも、天武朝出会ったと考えられる。中国の「皇帝」と対置し、中国皇帝の冊封を受けた新羅の「国王」よりも優位に立つ、「東夷の小帝国」の君主として、自らを位置付けようとしたのである。
天武天皇は、大臣をおかず、皇后(天智天皇皇女の鵜野皇女。のちの持統天皇)や、草壁皇子・大津皇子・高市皇子らの皇子、そして諸王などの皇親を重く用いることによって、律令体制国家の早急な建設をめざした。
各官司の統括者には諸王が任じられ、また、律令制支配を浸透させるために頻繁に各地方に派遣された使節の統括者にも、諸王が任命された。
一方、氏族層は、唐・新羅戦争という激動が続く東アジア情勢の中、律令国家の官僚の出身母体になることこそ、支配者層として生き残って行く道であることを悟り、皇族や皇親が主導する政治体制の下位に自らを位置付けた。天武朝に始まり、律令国家体制の成立まで続いたこの政治体制を皇親政治という。
「政の要は軍事なり」と詔した天武天皇は、畿内を武装化した軍国体制のもと、強大な天皇権力を利用して国家機構を組織し、皇親や諸豪族をその中に再編成することをめざした。そのためにまず整備したのは、豪族と官吏に登用する際の出身法や、勤務評定と昇進の制度であった。ここに個人の能力と忠誠を昇進条件とする官僚制が、本格的に形成され始めたのである。
その一方では675年に、天智天皇が定めた氏族単位の民部を廃止し、682年には、官人個人に食封を支給する制度への改定を進めるなど、律令官人化政策が推進された。
さらに681(天武天皇10)年、律令の制定に着手し、685(天武天皇14)年には、そのうちの冠位制のみを先行して施行した。この冠位制は、皇子と諸王のための冠位と、諸臣のための冠位とにわかれており、皇親と諸臣を明確に区分したうえで、皇親を諸臣の上位に置いたものである。皇親も授位範囲に含ませたことは、全ての支配者層に冠位を授与して国家の官僚にしようとした天武天皇の意図を表している。
同じ681(天武天皇10)年、「帝紀および上古諸事」を記し定めることによって国史の編纂が開始された。これは、それまで天武天皇自身のもとで行われていた私的な歴史書編纂(これがのちの『古事記』に結実する)にかわって行われた大規模な国家レベルの修史事業であり、のちに『日本書紀』として完成することになる。
また、684(天武天皇13)年には八色の姓を定め、天武朝という時点における勢力や功績に対応した形で、姓を再編成した。
八色の姓は、真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置からなり、上位4屍が、上級貴族を出す母体の氏族とされた。もともと臣、連の姓を持つ氏族のうちで、有力なものはそれぞれ朝臣・宿禰姓を賜ったが、この時の賜姓からもれた者は、第6・第7の格に落とされたことになる。
天武天皇は、銭貨としての富本銭の鋳造を始めるとともに、すでに藤原京の造営にも着手していたが、律令制定・国史編纂・都城造営という諸事業の完成を見ないまま、686年に死去した。
あとを継いだ皇后の鸕野皇女(持統天皇)は、689年、飛鳥浄御原令を施工し、その「戸令」に基づいて戸籍の作成を命じた。
これは庚寅年籍として翌690年に完成したが、五十戸を一里として国・評・里・戸の制を確立したのも、この時であった。戸は、1戸から一人の兵士を徴発するように、成年男子が平均4丁含まれるように編成された。
また、692年には班田使が派遣されたが、この時から全国的な班田収受が始まったとされる。
694年には、飛鳥の北方に藤原京が完成し、遷都が行われた。これは、条坊を備えた、わが国最初の本格的な都城である。
持統天皇は、697年に天皇位を孫の文武天皇に譲ったが、その後も太上天皇として天皇を後見し、政治の実権を握った。このようにして大化改新以来進められてきた、天皇制と官僚制を軸とする中央集権的律令国家体制の建設は、ようやく完成へと近づいたのである。
宮と京
ヤマト政権においては、大王や王の存在が、居住した「宮」と一体のものとして把握されていた。これは、それぞれの王族が、これぞれの皇子宮において養育され、成人後もそこを政治的本拠地にすることが多かったことから生じたものである。
7世紀以前の大王が、即位するごとに歴代遷宮を行なったとされるのも、実は即位以前の皇子宮において、即位後もそのまま執務を行なったことによるのである。
豪族や王族は、政務に参加するために、自己の地盤となる地からその宮まで通う必要があった。ところが藤原京の成立以後は、一つの宮において何代もの天皇が政治をとることとなった。その場合の「宮」(「宮室」「宮城」)とは、天皇の居住する内裏をはじめ、政務をとる場としての朝堂、官人が執務する曹司や官衙などを含むものである。
一方、藤原京以降は、大小の道路によって碁盤目状に区画された条坊制に基づいた街区を構成する広大な地域がつくられた。これを「京」(「京城」「都城」)と読んで区別している。そこには多くの貴族や官人が宅地を与えられて居住し、また寺院や市場も設けられた。
宮城
都市名 | 主な天皇 | 在住期間 | 現在の地名 | 副都、その他 |
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軽島豊明宮 | 応神天皇 | 430 | 橿原市大軽町 | 大隅宮(東淀川区大隅) |
難波高津宮 | 仁徳天皇 | 456? | 大阪市 | |
泊瀬朝倉宮 | 雄略天皇 | 480 | 奈良県桜井市 | |
磐余甕栗宮 | 清寧天皇 | 480〜485 | 奈良県桜井市 | |
近飛鳥八釣宮 | 顕宗天皇 | 485〜488 | 奈良県明日香村 | |
石上広高宮 | 仁賢天皇 | 488〜498 | 奈良県天理市 | |
泊瀬列城宮 | 武烈天皇 | 498〜507 | 奈良県桜井市 | |
樟葉宮 | 継体天皇 | 507〜511 | 大阪府枚方市 | |
筒城宮 | 継体天皇 | 511〜518 | 京田辺市 | |
弟国宮 | 継体天皇 | 518〜526 | 京都府長岡京市 | |
磐余玉穂宮 | 継体天皇 | 526〜532 | 奈良県桜井市 | |
勾金橋宮 | 宣化天皇 | 532〜535 | 奈良県橿原市 | |
檜隈廬入野宮 | 宣化天皇 | 535〜540 | 奈良県桜井市 | |
磯城島金刺宮 | 欽明天皇 | 540〜572 | 奈良県明日香村, 奈良県桜井市 * | 橘の宮(橘寺) |
百済大井宮 | 敏達天皇 | 572〜575 | 大阪府河内長野市, 奈良県広陵町, 大阪府富田林市, 奈良県桜井市 * | |
訳語田幸玉宮 | 敏達天皇 | 575〜585 | 奈良県桜井市 | |
磐余池辺雙槻宮 | 用明天皇 | 585〜587 | 奈良県磯城郡, 奈良県桜井市 * | |
倉梯柴垣宮 | 崇峻天皇 | 587〜593 | ||
豊浦宮 | 推古天皇 | 593〜603 | 奈良県明日香村 | |
小墾田宮 | 推古天皇 | 603〜630 | 奈良県明日香村 | |
小墾田宮 | 皇極天皇 | 642〜643 | 奈良県明日香村 | |
飛鳥岡本宮 | 舒明天皇 | 630〜636 | 奈良県明日香村 | |
田中宮 | 舒明天皇 | 636〜640 | 奈良県橿原市 | |
百済宮 | 舒明天皇 | 640〜 642 | 奈良県広陵町, 奈良県桜井市 * | |
飛鳥板蓋宮 | 皇極天皇 | 643〜 645 | 奈良県明日香村 | |
難波宮(難波長柄豊碕宮) | 斉明天皇 | 661〜667 | 大阪府大阪市 | |
難波宮(難波長柄豊碕宮) | 孝徳天皇 | 645〜655 | 大阪府大阪市 | |
飛鳥川原宮 | 斉明天皇 | 655〜656 | 奈良県明日香村 | 難波長柄豊碕宮 |
後飛鳥岡本宮 | 斉明天皇 | 656〜661 | 奈良県明日香村 | 難波長柄豊碕宮 |
朝倉橘広庭宮 | 斉明天皇 | 661 | 高知市朝倉丙, 朝倉市 * | 難波長柄豊碕宮 |
近江宮 | 天智天皇 弘文天皇 | 667〜672 | 大津市 | 難波長柄豊碕宮 |
飛鳥浄御原宮 | 天武天皇 持統天皇 | 672〜694 | 奈良県明日香村 | 難波長柄豊碕宮 |
藤原京 | 文武天皇 | 694〜710 | 奈良県橿原市 | |
平城京 | 元明天皇 | 710〜740 | 奈良県奈良市 | 難波京 |
平城京 | 聖武天皇 | 745〜784 | 奈良県奈良市 | 難波京, 保良宮, 由義宮 |
恭仁京 | 聖武天皇 | 740〜743 | 京都府木津川市 | 難波京 |
紫香楽宮 | 聖武天皇 | 743〜744 | 滋賀県甲賀市 | 難波京 |
難波京 | 聖武天皇 | 744〜745 | 大阪府大阪市 | |
長岡京 | 桓武天皇 | 784〜794 | 京都府向日市, 京都府長岡京市, 京都府京都市 * | |
平安京 | 桓武天皇 | 794〜1180 | 京都府京都市 | |
平安京 | 安徳天皇 | 1180〜1868 | 京都府京都市 | |
福原京 | 安徳天皇 | 1180 | 兵庫県神戸市 | 平安京 |
(南朝) 吉野行宮 | 後醍醐天皇 | 1348 | 奈良県吉野町 | |
(南朝) 吉野行宮 | 長慶天皇 | 1373 | 奈良県吉野町 | |
(南朝) 賀名生行宮 | 後醍醐天皇 | 1336 | 奈良県五條市 | |
(南朝) 賀名生行宮 | 後村上天皇 | 1348〜1351 | 奈良県五條市 | |
(南朝) 賀名生行宮 | 後村上天皇 | 1352〜1354 | 奈良県五條市 | |
(南朝) 賀名生行宮 | 長慶天皇 | 1373〜1392 | 奈良県五條市 | |
(南朝) 天野行宮 | 後村上天皇 | 1354〜1359 | 大阪府河内長野市 (金剛寺) | |
(南朝) 住吉行宮 | 後村上天皇 | 1360〜1373 | 大阪府大阪市 | |
東京 | 明治天皇 | 1868〜現在 | 東京都千代田区 | 皇 京都を首都と解する立場がある(東京奠都は都を東京に遷すものではないとの解釈)。 |
参考 Wikipedia
藤原京が登場する作品
持統天皇の生涯とともに、大化改新、壬申の乱、唐・朝鮮半島との外交問題などを描いた大作