西ゴート王国 (415年〜711年)
ローマの東西分裂後、西ゴート人はアラリックに率いられて、西ローマ領内に侵攻、410年にはローマを占領し、3日間にわたって掠奪した。
アラリックの死後、西進をつづけ、南ガリアを支配し、さらに415年にイベリア半島(イスパニア)に入り、ヴァンダル人を追い出して、418年にガリア南部とイベリア半島を支配して西ゴート王国を建国した。
451年には、西ローマと協力してアッティラの侵入をカタラウヌムの戦いで撃退した。しかし、5世紀の終わりにはガリアをフランク人のクローヴィスに奪われ、領土はイベリア半島だけとなり、507年以降、都をトレドに定めた。
西ゴート王国
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ゲルマン諸国家
西ゴート人は現在のブルガリアに定着し、378年にアドリアノープルでウァレンス(ローマ皇帝)のローマ軍を破った。
アラリック1世のもとでバルカン半島各地を移動し、5世紀初めにイタリアに侵入してローマ市を荒らした。(410年)
アラリックの死後ガリア南部に入り、トロサ(トゥールーズ フランス)を都に西ゴート王国を建設した(418年)。
1世紀ほどのち、クローヴィス率いるフランク族に敗れた(507年)ため、イベリア半島のトレド(スペイン)に遷都し、711年にイスラーム教徒のウマイヤ朝に滅ぼされるまでその地で存続した。
年表
- 375年 – ゲルマン民族の大移動。西ゴート族、ローマ帝国内へ侵入
- 395年 – ローマ帝国分裂
- 408年 – アラリック1世がローマ包囲
- 410年 – ローマ占領(ローマ略奪)
- 415年 – 都をトロサに定め建国
- 418年 – テオドリック1世即位
- 451年 – ローマと連合を組みアッティラとカタラウヌムの戦い。勝利を得るも王は戦死
- 475年 – エウリック王法典編纂(対象はゴート族)
- 476年 – 西ローマ帝国滅亡
- 506年 – アラリック抄典編纂(東ローマ帝国のテオドシウス法典の焼き直し。対象は、ゴート人とイベロ=ローマ人)
- 507年 – フランク王国とブイエの戦いに敗北、王も戦死。スペインのみの統治に
- 549年 – メリダに遷都
- 554年 – 東ローマ帝国の攻撃に遭いスペイン南部を喪失
- 560年 – トレドに遷都
- 585年 – スエボス(スエビ)王国を併合
- 589年 – カトリックを公認。王自身も改宗
- 621年 – イベリア半島統一
- 654年 – 属人法を廃止
- 694年 – ユダヤ人を迫害
- 711年 – ウマイヤ朝の攻撃にあい滅亡(グアダレーテ河畔の戦い)
- 718年 – 完全に滅亡
歴代君主
- アラリック1世(395年 - 410年)
- アタウルフ(410年 - 415年)
- シゲリック(415年)
- ワリア(415年 - 419年)
- テオドリック1世(419年 - 451年)
- トリスムンド(451年 - 453年)
- テオドリック2世(453年 - 466年)
- エウリック(466年 - 484年)
- アラリック2世(484年 - 507年)
- ゲサリック(507年 - 511年)
- アマラリック(511年 - 531年)
- テウディス(531年 - 548年)
- テウディギセル(548年 - 549年)
- アギラ1世(549年 - 554年)
- アタナギルド(554年 - 567年)
- リウヴァ1世(568年 - 573年)
- レオヴィギルド(568年 - 586年)
- レカレド1世(586年 - 601年)
- リウヴァ2世(601年 - 603年)
- ウィテリック(603年 - 610年)
- グンデマル(610年 - 612年)
- シセブト(612年 - 621年)
- レカレド2世(621年)
- スウィンティラ(621年 - 631年)
- シセナンド(631年 - 636年)
- キンティラ(636年 - 640年)
- トゥルガ(640年 - 641年)
- キンダスウィント(641年 - 649年)
- レケスウィント(649年 - 672年)
- ワムバ(672年 - 680年)
- エルウィグ(680年 - 687年)
- エギカ(687年 - 701年)
- ウィティザ(701年 - 710年)
- ロデリック(710年 - 711年)
- アギラ2世(711年 - 714年)
- アルド(714年 - 718年)
526年のヨーロッパ地図
ゲルマン人とスラヴ人の移動-移動前の居住地と中間滞在地及び定住建国地
宗教政策
キリスト教アリウス派はニケーア宗教会議で異端とされ、ローマ領内での布教が出来なくなった。4世紀の中ごろ、西ゴート人のウルフィラという人がコンスタンティノープルでアリウス派に改宗し、聖書のゴート語訳をつくってゴート人に布教したことから西ゴート人に信仰が広がった。ゲルマン人の土俗的信仰と結びついて西ゴート人に近い東ゲルマン系の間に広がった。
レカレド王の改宗
3世紀までのキリスト教への改宗は、使徒や宣教者の超自然的能力に対する驚きや感嘆、あるいは殉教の目撃という個人的体験に基づいて行われていたのに対し4世紀以降の改宗は崇敬感情よりも政治的熟慮のほうが勝っており、宣教活動は支配者を対象として行われた。
また西ゴート王国は改宗以前に、被支配民であるローマ系住民はカトリック、支配者であるゴート族はアリウス派からカトリックへの改宗が進んでおり、両者のアイデンティティーの統合は進みつつあった。レカレド王は改宗後に徹底的なアリウス派根絶に努めており、それにより王を中心とする政治的宗教的統一体形成の基盤をなしたという見方もある。