足利学校
下野国足利におかれた儒学・易学・軍学の学校。創立については諸説(下野国学・小野篁創設・足利義兼創設)あるが定かではない。1439年永享の乱に勝利した関東管領上杉憲実が鎌倉の円覚寺快元を庠主に招いて再興。フランシスコ・ザビエルは「高野・根来・比叡・三井寺と並ぶ坂東における大学」と評している。
足利学校
下野国足利におかれた儒学・易学・軍学の学校。創立については諸説(下野国学・小野篁創設・足利義兼創設)あるが定かではない。1439年永享の乱に勝利した関東管領上杉憲実が鎌倉の円覚寺快元(臨済宗)を庠主に招いて再興。フランシスコ・ザビエルは「高野・根来・比叡・三井寺と並ぶ坂東における大学」と評している。
室町文化
文化の地方普及
足利学校
関東では、15世紀なかごろ、関東管領上杉憲実が足利学校(創立年代は室町時代初期とみられているが、正確にはわかっていない)を再興した。ここでは全国から集まった禅僧・武士に対して高度な教育がほどこされ、多数の書籍の収集も行われた。足利学校は、その後も小田原北条氏の保護を受け、多いときには3000人を超える学生が集まるほどの隆盛を迎えた。宣教師フランシスコ・ザビエルもこの「坂東の大学」こそ日本で最大の学校だと手紙に記している。