金庾信 (キム・ユシン、きんゆしん) 595年 – 673年 三国時代(朝鮮半島)の新羅の将軍。新羅の朝鮮半島統一(三韓統一)に最大級の貢献をした。妹は武烈王に嫁いで文明夫人となり、その長子が第30代文武王となる。
金庾信
- 647年の善徳女王の死後、金春秋と共に真徳女王を立ててこれを補佐する。
- 真徳女王死後、金春秋を武烈王として即位させる。
- 新羅は648年に高句麗と百済の麗済同盟に対抗するために唐に救援を求める。
- 660年、唐と共同で百済へ進軍し(唐・新羅の同盟)、黄山伐の戦いで百済の将軍階伯を激戦の末に破り、同年、百済を滅ぼした。
- 663年に白村江の戦いで倭と百済の残党勢力を排除する。
- 668年に高句麗に出兵し(唐(王朝)高句麗出兵)、高句麗も滅ぼす。
- 668年12月、文武王より太大角干の官位を贈られる。それまでの新羅の官位の最上階の大角干を上回る官位として設置されたものである。
- 673年7月1日に79歳で死去したとき、文武王は嘆き悲しみ、帛1千匹と租2千石とを香典として下賜した。のちに興徳王(在位:826年 – 836年)の時代になって、<興武大王>に封じられた。
- 金庾信の死後、676年に百済に熊津都督府、高句麗に安東都護府、新羅に鶏林州都督府を設置して着々と朝鮮半島支配を進める唐を唐・新羅戦争で破り、ついに三国を統一した。
金庾信が登場する作品
大王の夢

DVD
天智と天武
