雪舟 雪舟七十一歳像
雪舟七十一歳像 標本(模写者不詳/藤田美術館蔵) 重要文化財 ©Public Domain

雪舟


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雪舟( A.D.1420〜B.C.1506)

雪舟せっしゅう等楊とうようは室町時代の画僧。幼少期に相国寺に入り周文に師事、水墨画を学ぶ。水墨画を極めることは禅を極めると、遣明船で入明、3年修行する。自然に対する深い観照のもとに個性豊かな水墨山水画様式を完成し、後世に多大な影響を与えた。日本美術史上最多を誇る6点もの作品が国宝に指定されている。

雪舟

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水墨画の世界を一変させ中世唐絵様式を創造した画聖

「一介の僧が」と辞退した東山山荘襖絵の栄誉

10代で京の相国寺しょうこくじに入った雪舟せっしゅうは、修行のかたわら、将軍家の御用絵師だった周文しゅうぶんに師事、水墨画を学んだ。やがて水墨画を極めることはぜんを極めることと考え、水墨画の本場である明(王朝)への渡海を切望するようになる。

1167年(応仁1)、雪舟は周防守護の大内氏の遣明船に乗る機会を得る。滞在は3年に及び、その間雪舟の絵は明で認められ、中国五山のひとつ、天童山景徳寺から第一座を与えられた。求める師には出会えなかったが、大陸の風物を目の当たりにしたことはのちの雪舟の画風に影響を与えたことは間違いない。

帰国後、応仁の乱を避けて大内氏や豊後ぶんごの大友氏の庇護を受け、山口や大分に居を構えた。

その後、雪舟の名声は広まり、東山山荘を建築中だった八代将軍の足利義政あしかがよしまさから、ふすまを飾る絵を依頼される。しかし、雪舟は「一介の僧が金殿に描くのはおそれ多い」として、これを辞退した。

1506年、山口の雲谷庵うんこくあんで没したという。

禅僧の修行時代、絵にばかり精を出す雪舟は、柱に縛り付けられた。あまりの苦しさに足下に涙の池ができたが、雪舟はそれを使って足の指で生きているようなねずみを描いたという。

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ギャラリー

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日本に影響を与えた水墨画

緊密だった宋と日本の文化的交流
唐代に始まる水墨画は、宋代・元代に全盛を迎えたが、宋や元の水墨画法は鎌倉時代の日本に入ってきた。その初期には禅宗と結びついた影響で、画僧を中心に制作されて頂相ちんぞう(仏や禅僧の画像)などが多かったが、室町時代に入ると山水(自然そのもの)や花鳥かちょう(花や鳥、草木、虫、獣のこと)もよく描かれるようになった。輸入された夏珪かけい画や玉澗ぎょくかん画は、日本水墨画の大成者といわれる雪舟に大きな影響を与えており、牧谿もっけいの作品は、中国より日本でより高く評価され、珍重された。

武家社会の成長

室町文化

東山文化
水墨画

新しい住宅様式の成立は、座敷の装飾を盛んにし、掛軸かけじく襖絵ふすまえなどの絵画、床の間を飾る生花・工芸品をいっそう発展させた。墨の濃淡で自然や人物を象徴的に表現する水墨画は、すでに北山文化のころ五山僧の明兆(兆殿司)・如拙・周文らによって基礎が築かれていたがこの時期に如拙・周文の門下から雪舟せっしゅう(1420〜1506)が出て、明(王朝)での見聞や地方生活の経験を生かしながら『四季山水図巻(山水長巻)』『秋冬山水図』『天橋立図あまのはしだてず』などの作品をつぎつぎと描き、水墨画の作画技術を集大成するとともに、禅画の制約を乗り越え、日本的な水墨画様式を創造した。

同時代の人物

レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452〜1519)

イタリアの画家、彫刻家・建築家・科学者。芸術と科学の合致を目指したルネサンスの「万能の人」。ミラノのスフォルツァ家の宮廷で画家・彫刻家・建築家・兵器の技術者として活躍。ルイ12世(フランス王)に招かれてミラノの宮廷画家になり、レオ10世(ローマ教皇)に招かれて、ローマで創作活動を行った。晩年はフランソワ1世(フランス王)に請われてフランスへ渡り同地で没した。

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