青年イタリア Giovine Italia (A.D.1831〜A.D.1848)
1831年、マッツィーニが亡命先のマルセイユで組織した政治結社。共和主義と民族統一を掲げ、民衆の支持を得ようと度々蜂起したが、ことごとく失敗に終わった。弾圧を受けて衰退し、43年に再結成され、49年ローマで蜂起し、ローマ共和国の建国を宣言したが、反動化したローマ教皇の要請によって出動したフランス軍のため、この政府は崩壊し青年イタリアも実質的に消滅した。
七月革命によってウィーン体制の一部が崩壊したことは、ヨーロッパ各国に衝撃を与えた。イタリアでは、カルボナリが蜂起したが失敗し(カルボナリの反乱)、その党員であったマッツィーニは亡命先であるマルセイユにおいて秘密結社から大衆政党へと脱皮すべく「青年イタリア」 Giovine Italia を結成した。イギリスでは国内経済の停滞もあって地主支配への不満が高まり、32年には腐敗選挙区を廃止する第1回選挙法改正が実現している。